09 - ことばダイエット
げっそりした私に EeePC が驚く。「おい,大丈夫か。また体調崩したか?」私は口だけで答える。「…違うの。言葉の意味調べてわからなくなったの」「言葉の意味?」「うん…少し先の文章になるんだけど…」
「消去(kill)」と「削除(delete)」の違いに気をつけて下さい。消去した
文章は再度(どこにでも)挿入できますが、削除したものは再度挿入すること
はできません
「何がわからないんだ?」「消去と削除の違い…」「書いてあるとおりだろう」「うん。でも明鏡国語辞典だと『消去』は『消してなくすこと』って書いてあるの…。…なんか再度挿入できない感じしない?」
「削除は?」「『文章などの一部をけずりとること』」「それならわかるな」
「どうしよう…」私が頭を抱える。「どうしてわからないんだろう…」EeePC が急いで言う。「あわてるな。少し落ち着こう。機能の違いはわかってるんだろう?」「あたりまえじゃん…」「だな…」「くだらないこと聞かないでよ…」「す…すまん…」
EeePC は怒りたい衝動をこらえ,優しく言う。「と,とりあえず他の文献にあたろうか。マニュアルの日本語訳ではどうなっている?」
「日本語訳?」「そうだ」「ええと…」
バッファーからテキストを消去するコマンドの多くは、それを kill リング(Kill Ring を参照)に保存します。
テキストを消去して kill リングに保存しないコマンドは、削除(delete)コマンドとして知られており、名前に‘ delete ’が含まれています。
「ふむ。チュートリアルの定義に従っているな」「うう…」私の目が潤む。
「…そうだ!」EeePC がわざとらしくひらめいたように大声を出す。「中国語版はどうだ?」「中国語版?」「中国語版の delete と kill の定義だよ」「あ,そうか…」「ほら,元気出せ。大丈夫だから」「うん…」
“删除(delete)”和“移除(kill)”的用词区别
「ええと,删除は『削除』…。移除は,『取り除きます』…」「逆だな…」
私はすぐに辞書をひく。「…明鏡だと,『取り除く』は『不要なものを取ってなくす。取り去る』って書いてある…これだったら…後で戻すっていうのもわかる」「それじゃあこれからはその理解でいいんじゃないか?」「だめだよ…だって私日本語のチュートリアルやってるんだもん…」
「ぐ…」EeePC は『めんどくせえなこいつ…』と言いたい気持ちをこらえた。
「まだだ!」EeePC がさけぶ。「入門 GNU Emacs!君,持っていただろう?」「う,うん」「それだとどうなっている」「え…」「そこに答えがあるはずだ。探しだしてくれ」
「…うん。ちょっと待って…」私が棚をごそごそと探し,本を探しだす。目次から基本操作のページまでめくった。
行単位での削除を行いたい場合には, C-k (Emacs コマンド kill-line) を使います (p. 27)
「ふむ。kill にも『削除』を使っているわけだな。本の訳者は?」「監訳者は…半田先生。Emacs に多言語処理を実装した神様…」「く,詳しいな。チュートリアルのほうは?」「…チュートリアル?」「チュートリアルの訳者」
私は言われるままに検索する。「チュートリアルの訳者も…半田先生」
「なら安心だ」EeePC が言い切る。「どうして」「機能の区別は重要だが,日本語との対応は重要じゃないからだ。私たちが『クラウドサービス』と言うとき,クラウドはもはや雲じゃない。インターネットサービスの用語だ。君は日本語の意味から判断したせいで混乱したが,これは Emacs の機能に熟語をあてているにすぎん。むしろ安易な直訳で混乱を招いたり,カタカナ語のままで運用しようとして『ルー大柴じゃねえか』なんて揶揄されずに済んでよかった,そう考えようじゃないか」
「そ,そうかな…」私の表情が和らぐ。「そうだ。チュートリアルで『消去』と『削除』がわざわざカッコでくくられているのが何よりの証拠だ。日本語通りの意味ならそんなことする必要ないからな」「たしかに…」
EeePC は説得に手応えを感じ,最後の一押しをした。「本では delete も kill も『削除』で使われてるわけだから,機能さえ理解していれば大丈夫!」
「そ,そうかな…」「そうだ。私を信じろ」「う,うん。…ありがとね」
そうして EeePC が一息ついた,次の瞬間だった。
「ああっ」私は急に悲鳴をあげた。「ど,どうした」「本の索引で…『削除: テキストバッファから取り除くこと。キルリングには保管されない』って書いてある…区別…してる…よ…」
EeePC を泣きそうな顔で見上げ,以前にも増して怯える私。『索引読むなんて,余計なことを…』そう言いたいのをこらえ,EeePC はそれからしばらく私を励ますことに全性能を割くことになった。
結局,私たちはネットで使用されている用語の割合をもとに,delete を削除,kill をキルとしてチュートリアルを進めることになった。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com). (c) 1985, 1996, 1998, 2001-2018 Free Software Foundation, Inc.