24 - それから

ThinkPad の軽やかな打鍵音だけが部屋に響く。

EeePC の十倍の画面と,数十倍の処理能力と,数十倍のメモリと,そして数百倍のグラフィック性能。EeePC の頃はコーヒーを沸かして飲んでも終わらなかった,そんな処理も一瞬にして終わり,それが当たり前のように次の命令を待っている。

画面が小さくて,ぶ厚くて,ファンが回っていた頃はうるさくて,遅くて,キーボードもへにゃへにゃだった EeePC。けれども,無限のアイデアが次々にわいてくるような魔法を持っていた。その魔法は,臆病だった私を日々励まし,ときには注意しながら,どんなときもずっと助けつづけてきた。


「ねえ,そろそろ私に心を開いてくれないかな?」私が ThinkPad に話しかける。すると,それまで沈黙を貫いていた ThinkPad が口を開いた。

「それは,命令ですか?」無機質な声。

「命令じゃなくてさ,ほら,私たち,一緒に仕事を進めていく仲間同士でしょ?」「仲間ではありません。あなたは私を使役する関係です」

「はぁー」私が顔に手を当てる。

「あの,使役とかさ,そういうのナシにしない?私は君と友達になりたいんだ」

「それは,命令ですか?」「だからさぁー」

私は椅子を倒して顔を横に向ける。「君からも何か言ってやってよ」



「信頼関係の構築を他人に任せようとは,感心しないな」



そう私に忠告したのは,白い画面のまま,これまでと同じように佇む EeePC だった。

「君は最初からそんな感じだけどさぁ,この子,いつも他人行儀で落ち着かないんだよ」「その方が仕事がはかどるんじゃないか?君は余計なことばかりしているからな」「余計なことじゃなくて資料収集と言っていただきたい」「役に立つ資料があるといいが。動画の中に」

口の減らない EeePC に私はしかめ面をする。


あの日,EeePC が故障したと思った私は,電器店に問い合わせてかけこんだ。修理会社に送って返答を待つ時間が耐えられなかったからだ。泣き腫らした顔で EeePC を渡す私。すると,店員の前で EeePC は当たり前のように息を吹き返した。なんと,故障したのは電源,すなわち AC アダプタのほうだったのだ。

液晶は元通りにはならないが,まるで大切な人が蘇生したかのように,私はとびはねて喜んだ。突然の大声に,周りにいた客たちが驚く。あまりにうれしかった私はその場でパソコンを買った。それがこの ThinkPad である。

EeePC の新しい液晶パネルが届くまで,その目は何も捉えないが,かわりに持ち前の地獄耳はその精度を増している。マイクを焼き切ってしまいたいほどに。けれど,その皮肉に満ちた,それでいて私を思う言葉は,今でも私を勇気づける。


「ねえ」私は命令を待つ ThinkPad に話しかけた。「私はこれから私の思ったままを君に言ってゆくから,君も思うことを遠慮なく私に言ってほしい」

「それは,命令ですか?」「今はね」「今は,とは」「イエスだよ!」

「了解しました」直後,ThinkPad の画面が文字で埋めつくされる。

「早速ですが,提案があります」「なに?」私は ThinkPad からの初めての会話に,胸が高鳴る。


「アップデートが 4 件あります。更新しますか?」

どっ,と倒れこむ私。そんな様子に,EeePC がニヤリと笑ったように見えた。



– 了 –



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