03 - いじる気分
「すみれ色の土は栄養に富み,種をまくだけで容易に作物が育つ。湧き水に枯れる様子はなく,いつでも喉を潤す…ねえ,ちょっと手軽すぎない?」
私の問いかけに ThinkPad が答える。「手軽,とは」「惑星に不時着したらさ,もっと生きるのに苦労しそうじゃん」「前提が不明です」
バン!
激しく机が叩かれ,衝撃とともに ThinkPad の場所がずれる。
「私はもっと君と普通の会話がしたいんだよ!」
「…」
感情の急変を感じ取った ThinkPad は沈黙する。
「…はぁ」私は位置を元に戻し,ため息をついた。ごめんね。何がですか。そんな会話を予想し,途方に暮れる。ThinkPad は悪くない。悪いのは…私。
EeePC だったら。そう言いかけて口をつぐむ。誰かとの比較は思っても口にしない。そう決めているからだ。それに EeePC だったら,こんな順調に進んでいない。だけど…。
「疲れてるのかな…もう寝るね」そう言って私は布団に入った。しばらくして ThinkPad も画面を暗転させ,部屋はひんやりとした静寂に包まれた。
夢のなかで私は魔法のようなワープロを操っていた。水のたゆたうようなスクリーンに,薄暗い底が透けて見えている。私が場面を想像するだけで,みるみるうちに水面に文字が浮かびあがり,そして泡をひきながら底へ沈んでゆく。ストーリーは次々に進んでゆく。まるでワープロと私の頭がつながって,前へ前へとうながされているような…。
私は両目をぱっちりと開いた。
つながる?
私が布団をはねのけて起きあがったとき,外はまだ暗かった。「起きて!」そう言いながら,冷蔵庫からウーロン茶のボトルを取り出し机に乗せる。
「ご用ですか?」ThinkPad の画面が灯る。「うん」私は一杯飲みほし,それから話しはじめた。「君にはこれから文法チェックだけじゃなくて,文章の内容についてもコメントしてほしいんだ。できる?」「不可能です。データベースがありません」「基礎研からコピーしたものがあるでしょ。あれ使おうよ」「研究目的以外の使用はライセンス違反では」
「堅苦しいな」私はさらに一杯飲み干す。胃が水でたぷたぷする。「じゃあこうしよう。文章の親近度が平均以下だったら私に質問して。私の応答についても同じように対応してほしい。これならできるでしょ?」「了解しました」
それから私は ThinkPad と会話のトレーニングを繰り返した。元のスペックが優秀なこともあって,ThinkPad の会話能力は飛躍的に高まっていった。そうだ。EeePC だってはじめは話ができなかった。互いに朝から夜まで教えあって,ようやく私たちはちゃんと話せるようになったんだ。
「どうしてこの星はこんなに便利なんですか?」「この星って?」「あなたの作品に出てくる紫色の惑星のことです」「それは,Spacemacs が便利だったから…」「私はこの星について質問をしています」「あのね,この星は Spacemacs をモチーフにした星なの。紫色の土も,便利だってことも」「不時着した星で苦労をしないのはおかしい,そう言ったのはあなたでは?」
たしかに ThinkPad の会話能力は飛躍的に高まった。ただ,その性能の高さが災いし,質問の切れ味が鋭すぎる。
「ねえ,もう少しほめてほしいんだけど…」
「ほめようがありません」
「ひっど。ねえ,ちょっと正直すぎない?私が自信を失っちゃうじゃん!」
「根拠のない自信に価値はありません」
「根拠がないから自信なんでしょ!未来なんか見えないんだからさ,『できる』と思ってやらなきゃ,何もできないよ」
「失敗したときのリスクを考慮しない行動は,取り返しのつかない状況になりかねません」
「じゃあその対応を君が考えてよ。私は進むから」
「ではあなたの計画を全てお話しください」
「それじゃネタバレになっちゃうでしょ。面白くないよ」
「これまでの経験から,あなたが先の展開を予想してストーリーを構築したことはありません。それに」
「今回はちゃんと考えてるよ」
「話を途中でさえぎらないでください。それに,あなたが先の展開を考えている場合,たいていは破綻しています」
「…。じゃあ全部話せば,危険を回避してくれるんだね?」
「保証しかねます」
「ふっ。自分は安全圏から無責任なコメントをしておいて,いざ自分が舞台にあげられたらトンズラですか。とんだ評論家様ですね」
「私は評論家ではありません。質問および評価を求められたから回答しています」
「じゃあ君の提案が妥当かどうか,君自身で吟味してみてよ。それがちゃんとしたものなら危険は回避できるはずだから。でしょ?」
「では自己評価プロセスの許可を申請します。評価プロセスの階層を決定してください」
「三人寄れば文殊の知恵っていうから,3 + 1 で 4 段階でいいよ」
「了解しました。自己評価プロセスを起動します」