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大零院 (だいれいいん) が落ちた。その言葉に,バツの頭が一瞬真っ白になる。

「どうして。小五院は守ったのに」

「大零院様が敵の手に落ちたからだ。霊壁もない丸裸の状態で,獅宝児 (しほうじ) 様は最後まで勇敢に戦われた」

自分のやってきたことは無駄だったのか。バツの頭がコントロールを失い,様々な記憶が映像になって飛び交う。

「それより貴様,どうしてその鈴を持っている」

鋭い視線を向けられ,バツは我に返る。鈴がチリンと鳴った。「こ,これ,お張子様がくださいました。心が,落ち着くから…」

「お張子様が」

それを聞くなり,黒装束の人物は目の前で片膝をつき,頭を下げた。

「数々の無礼をお許しください。自分は,お張子様の使い,凶 (まがつ) と申します」

「凶…さん」

バツはぺこりとお辞儀をした。「私はバツです。よろしくお願いします」

場違いな挨拶に,凶は肩すかしを食う。「…ははっ」

「大零院 (だいれいいん) に何があったのか,詳しく教えてくれませんか」

立ち上がった凶 (まがつ)。だが沈黙したまま答えない。目を合わせるようにバツが動くと,言いたくないのか顔をそらした。

「まだ小五院 (しょうごいん) は無事です。お張子 (はりこ) 様をこれからもお守りするために,どうすれば大零院を守れたのか,教えてほしいんです」

顔をそらしたままの凶に,バツが再び頭を下げる。「お願いします」

「…どうすれば大零院を守れたか,ですか」

凶がようやく口を開く。「はい」バツがすぐに返事をする。

「魔族が攻めてこなければ守れたでしょうね,と言ったら驚きますか?」凶があざけるように言う。


魔族の大軍が突然現れ,大零院が混乱に陥るなか,張子の大零院参那月 (だいれいいんさんなづき) と,大零院守護の獅宝児 (しほうじ) は皆を鼓舞し戦った。だが多勢に無勢,参那月は魔族に捕えられ,大零院は霊壁を失った。なおも獅宝児は奮戦したが,雪崩のように押し寄せる魔族に抗しきれず,壮絶な最期を遂げた。

「大零院様はどちらに…?」バツが問う。凶はあごに手を当てて考える。「…わかりません。獅宝児様が生きておられたら,その気を感じることができたと思いますが」

バツの手足が冷たくなる。小五院を守れたとき,未来に光が差したように感じた。そう感じたのに。

「あの,準備ができていたら魔族から守れたと思いますか…?」

「ふっ」愚かな問い,とでもいうように凶が軽く笑う。「いきなり魔族の大軍が目の前に現れて,準備ができると思いますか?不可能ですよ。援軍でもあれば別ですが」

「援軍」バツは思い出した。山の民という強力な援軍によって,小五院が守られたことを。「小五院は援軍のおかげで守ることができたんです。大零院も援軍があったらもしや」

「バツ様。終わったことを蒸し返しても意味がありません。大零院が落ちた今,我々は今後のことを考えるべきです」

「私にとってはそれが今後のことなんです ! 」バツが背伸びをするように強く言った。凶がその勢いに圧倒される。

「小五院のみんな傷ついて,それでもみんながんばってます。もし援軍のあてがあるなら,教えてください。お願いします」

真っ直ぐな瞳で凶を見る。対する凶の顔はみるみるくやしそうな表情に変わってゆく。

「…バツ様。すべては遅すぎました。すべて…」


凶の口から語られたのは,いまや守護七院で残っているのは小五院だけであろう,という残酷な事実だった。



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