003

手ごたえを感じた黒目の魔族。『俺との取り引きを受けいれるなら,力をどう使おうが構わん』と答える。

「お前の同族がこの世界から消えるかもしれないんだぞ」『今のお前のようにか?』

くっ。挑発されたバツの腹に熱いものがこみあげる。

こいつは間違いなく魔族だ。人の命をもてあそび,おもちゃのように壊してきた,魔族なのだ。

バツが剣を振り上げようとする。

『おい。焦るなよ。俺は俺以外の魔族がこの世から消えようがどうでもいい。力のないやつが滅びるだけのことだからな』

「だまれ。魔族の戯言 (ざれごと) を一瞬でも信じた私が馬鹿だった」『じゃあ俺を斬ればいい。そうして幸運の女神が残した置き手紙を自分で引き裂いて,どこへでものたれ死ねばいいさ』

バツの手が止まった。互いに目を合わせたまま,沈黙が続く。

『なあ,お前にとって旨味しかない話だと思わないか?』先に沈黙を破ったのは魔族だった。「なんだと」『俺の言うことが本当だとしよう。お前は神にも匹敵する力を得る。俺の言うことが嘘だったら?一人ぼっちの人間が死ぬだけだ。それは俺を斬っても変わらない。だろう?』

「私はお前と取り引きなどしない。人として最後まで生きる」

『人として,か。お前のくだらん誇りを守るために死んでいった仲間も浮かばれんな』

「 ! ! …なぜそれを」

『はっはっは』黒目が揺れる。『お前のような弱い人間が,仲間の犠牲なしにこれまで生きられるわけないじゃないか。はっはっは』

その笑い声はバツにこれ以上ないほどの屈辱を与えた。

「笑うな ! 」そう叫ぼうとしたが,つぶれたのどでは音にならず,ゴホゴホと咳込んでしまう。憎しみの気持ちだけを魔族に向ける。

「…」

バツは迷っていた。いや,迷うことさえ本当は愚かなことだ。魔族と取り引きした者に救いなどない。地獄に落ちる。

…だが,私は地獄を知っている。私はすでに地獄に落ちている。私が見てきたもの,それが地獄でなくて何だというのだ。

黒目の魔族は動きを止めた。まるでバツの瞳の奥を見通すように。


『まあ,お前にその気がないなら,俺は別のところに行くだけだがな』

急に黒目がプイと見えなくなった。目をそらしたのだ。そうしてあれほど執着していたのが嘘のように離れてゆく。

「待てっ ! 」バツが呼びとめようとする。黒い塊は止まらない。

「ふ,ふたつ。二つの質問に答えてくれれば,…考えよう」

その言葉に塊の動きがぴたりと止まった。ずるりと先の黒目が現れる。

『質問だと?』「そうだ」『面白い。聞いてやろう』

バツはのどの感触を確かめてから言った。

「それほどの力があるならなぜ使わない」

『魔法を扱える身体がないからだ。宝の持ち腐れってやつだな』

「過去を変えるほどの力がどうしてお前のような…弱そうなやつに備わっている」

『遠慮しなくていい。俺に力がないことは俺自身よくわかっているからな』

「質問に答えろ。どうしてお前にそんな力が備わっている」

『神の気まぐれってやつかもしれんな。能力を使えずに俺が苦しむ様子を楽しんでいるんだろう』

「お前のようなやつは他にもいるのか」『三つ目の質問か?感心しないな』「これが最後の質問だ」『さあな。魔族にもいろんなやつらがいるからな。お前らのように』

黒目の魔族が言い終えると,こんどはバツが目を下にそらした。

無言。

空気がゆらぐ。その流れは,これまで鈍っていた周辺の魔族が再び動き始めたことを告げている。


これまでバツが進んできたのは,滅びという結末が待っているにもかかわらず,逃れようがない,どこまでも太い幹のような道だった。だが今,草むらに埋もれるように,横にそれる細い枝が見える。


どちらを進んでも永遠の苦痛しかないのなら,自分から飛びこんでやる。


「取り引きしよう」


バツはひとりごとのように言った。



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