007
バツは獣のように丸くなって眠った。まるで身体が無意識のうちにその姿勢を求めるように。
魔族となって生命力が高まったのか,じっとしているうちに傷がふさがってゆく。そうして次に目覚めたとき,身体の動きがやや軽くなっているのを感じた。しばらく忘れていた気分に,不思議と元気がわいてくる。
『無駄に動き回るんじゃない。時間を移動できるだけの体力を残しておけ』
クロメの忠告に,バツの動きがぴたりと止まる。そうだ。私は過去に戻って,この悲劇を変えなければならない。
「クロメ,昔に戻る方法を教えてほしい」
『いいのか?ついさっきまで震えていたようなやつが』
「大丈夫。もう私は迷わない」そう言って,バツは真剣な目で剣を抜く。
クロメは少し感心した様子で言った。
『その覚悟,嫌いじゃないぜ。ま,安心しな。戻ってこれる方法はいくらでもある』
「え?」バツが剣を下ろす。「さっき,そんなことは言わなかったが」
『怯えるお前が面白かったのさ』「からかったのか」
『半分,な。ただ,そんな軽い気持ちで自分を消しちまったやつをたくさん見てきたから,おどかしたくなっただけさ』
クロメのその言葉は,Git が地獄の力であることを思い出させる。バツの腹部にピリッと痛みがはしった。
バツが剣を構える。正面には,Magit の作り出した文字があのときのまま浮かんでいる。実体はない。クロメの瞳を通して生み出された幻影なのだ。
『いくつかの呪文を続けて唱えることになる。剣で切った傷はふさがるまで使えるから,もし詠唱を中断したときもまた軽くなでればいい』
「待って」またバツが剣を下ろした。「それは,傷口を剣でなぞれってこと?」
『ん?そうだが,それがどうした?』
「…触るだけじゃ,ダメ?」『当たり前だろう。外気に触れた悪質な血では剣が満足しない』
「…」バツの顔が無言のまま青ざめる。『…もしかして,怖いのか?』
「…」前回と違い,否定の言葉が出てこない。
『何が怖いんだ。?傷口を増やすよりマシだろう?』
バツがあわてて答える。「おっ,お前は魔族だから知らないかもしれないがな,傷口で刃物を往復させるのは骨を折るくらい痛いことなんだ」
『俺に骨はないからわからんが,人間にとって切ることはそんなに苦痛なのか』
「ああ ! そのとおり ! 」バツは拳をにぎり,自信満々に言う。
『なるほど。それなら Magit の詠唱に人間の生き血が必要なのもうなずける』
「だろう?だったら…」
『だがそれに慣れなければ指が傷だらけになって何も持てなくなるぞ』
クロメがそう言い放つと,バツの身体が石になったように固まる。
「そ,そんなに切るのか…?」
『そうだな。慣れないうちは,一回の詠唱を終えるまでに最低でも 5,6 回は切ることになる』
「…」あまりに残酷な事実を突きつけられ,めまいに襲われる。ご,5,6 回…?
『やめるのか?』クロメはバツの葛藤など知らないといったようにたずねる。
「や,やめるもんか。…少し時間がほしい」
『さっき迷わないと言ったはずだが。あれは嘘だったのか?』
「事情が変わったんだ ! 黙ってて ! 」
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