006
「なんだ,この記号は」『 "Git (ギット)" の一部だ』「Git?それがお前のいう力の名前なのか?」
『そうだ。地獄からきた最凶の情報管理者, それが Git だ』
「管理者…」バツを取り巻いていた光はすぐにかき消え,宙に浮かんだ文字だけが残る。手をのばすが,すりぬけていく。
「そいつは魔族なのか?」『 Git に意思などない。言われたとおりに情報を追跡し,変化を記録するだけだ』
「何を言っているのかわからない」手の平を閉じたり開いたりしても,何も変化がない。
『ヘタに触るとお前が消しとぶぞ』クロメの言葉に,バツはすぐさま手を引っ込める。
『くっくっく。冗談だ』
「…」ムッとした顔のバツ。クロメは続けて言う。『 Git をわがものとすれば,ありとあらゆる存在を自由に変えることができる。ただしそれができるのは純粋な魔族だけだ』
「私は…」バツは言い留まって腹部の呪印に目をやる。『そうだ。生まれながらの魔族でない者に,Git は使いこなせない。だが安心しろ。お前のような半端者でも使える術がある。今お前が見ているのがそれだ』
クロメの言葉に,再びバツが宙に浮かんだ文字を見る。
『お前の目の前にあるもの,それが Git を呼び出す禁術,"Magit (マギット)" だ』「禁術…」『そうだ。Git を使える魔族を依代とし,Magit の呪文を唱えれば,お前でも Git の一部を扱うことができる』
「過去も変えられるのか?」
『無論だ。お前にその資格があればな』
「教えてほしい。どうすれば過去に行ける?それから…」
『それから?』
「またここに戻ってくることはできるのか?」
『ぷっ。はっはっは』クロメがバツの頭の中で大笑いした。キンキンと反響する。
『どこまでも臆病なやつだ。俺が『できません』と言ったらやめるのか?』「ち,違う」『そうして今まで失敗を恐れて何もしてこなかったのか』「ちがう ! 」
叫んだバツの身体がゆらめく。たまらず両膝をついた。息があがっている。
『ま,そうなるだろうな』クロメは当然という様子で言う
「はぁ…はぁ… Magit は…使うたびにこれほど疲れるものなのか…?」
『いや,お前が死にかけているからだ』
「…なに…?」クロメの言っている意味がわからず,バツが問う。
『最初,俺はお前の身体を乗っ取ろうとして取りついた。だがお前は死ぬ寸前だった。気力だけで生きていたようなもんだ。このまま無理に支配しようとすれば,お前ともども俺も死ぬ。だから俺は体力を分けてやったのだ。そのせいでこんな中途半端な姿になってしまったがな』
「…私の命の恩人というわけか」
バツは両足を投げ出して地面に座った。ゆっくり息を整えながら,このわずかな時間に幾度も起きた奇妙な偶然を思い返している。
『もともと俺の身体になるはずだったんだが,まあそんなところだろう』
「ありがとう」
それは口から自然に出た言葉だった。自らを乗っ取ろうとしてきた相手に向かって。
クロメはしばらく黙ったあと,
『まあ,仲良くやろうぜ』
とだけ言った。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったな。私はバツ」
『…クロメだ』
「よろしく,クロメ」
『…ああ』
「魔族は挨拶もできないのか?」
そう言ってクロメをからかう。ようやくバツは笑顔を見せた。
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