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ズタズタと板の間に足音が響く。本殿までやってきた荒楽 (あらら) は,その汚い身なりを彌分 (やぶ) に注意されるのもかまわず,鏑穂 (かぶらほ) に何か耳うちした。
「そうか。では早速参ろう」
鏑穂は立ち上がり,飾りのついた杖を持って荒楽の後をついていった。当然ながら彌分もつきしたがおうとしたが,宴をとりしきるよう言われ,しぶしぶとその場に留まった。
鏑穂が一歩踏み出すたびに杖が鳴る。悲しみに暮れ,宴に参加しなかった者たちも,その凛とした様子に心が洗われ,自然と頭を下げた。
だが荒楽だけは違った。自分に怒っていた。自分が坊主だと大見得を切っておきながら,バツが魔族だったときの判断を鏑穂にゆだねたことに。何度自分を殴っても足りないほど,度胸のなさにいらだっていた。
避難が遅れた人々は,目の前で魔族に引き裂かれていった。倒しても倒しても次々と現れる魔族の群れに,恐れを抱いた。彌分の前で意地を張らなければ,逃げだしていたかもしれない。
魔族のとらえどころのなさが不気味であった。そこへきて,バツは自身を魔族だというのである。もし小五院に引き入れて,皆が危機に陥ることにでもなれば。その気持ちが邪魔をし,ついにバツを信じることができなかった。
荒楽は,こんな大柄の図体に,これほど小さい胆力しか備わっていなかったことがあまりにも情けなく,頭を叩き割ってやりたいと思っていた。
結界の外で,荒楽の足が止まった。様子を察した鏑穂が,「そこにいるのはバツか?」と問う。
兎の耳 (とのみ) の横で鏑穂と向き合う者。それはバツのはずだった。だが。
荒楽の顔が蒼白に変わってゆく。
「バツ…お前…」
その言葉で兎の耳もようやく気づき,「ひっ」と飛びのく。
黒髪がからみついたような片腕。穿たれたような黒い瞳。手から下げた虎皮の衣。そしてヘソの下に浮き出た呪印。
『俺は最悪の状況で目が覚めてしまったようだな』
「あとで正体がばれるよりはマシだよ」
クロメの言葉は皆には聞こえず,ぶつぶつと独り言のようになる。
「バツよ。もっと近くまで寄ってくれぬか。声が聞こえぬ」
「申し訳ありません張子 (はりこ) 様。私は人の世に入ることができません」
ぐっと拳を握る荒楽。本当にバツは人でなくなってしまったのか。腰の抜けた兎の耳は,がたがたと四つん這いで荒楽のもとへ近づいてゆく。
シャラン。
そのとき,兎の耳を隣を杖の音がすれ違った。
「鏑穂。待て」
鏑穂は結界を抜け,音を鳴らしながらすたすたとバツのそばに近寄ってゆく。そうしてバツを見上げると,その額を杖でをこづいた。
「声が聞こえぬと言っておるだろう」
額を抑えながら「すみません」と謝るバツ。
鏑穂はパッと笑みを見せ,両目のない顔でバツに向かって言った。
「よく焔丸殿に危険を知らせてくれたな。礼を言うぞ」
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