030

『面白くなってきたな』

黒い目がぎょろりと動き,クロメが呼びかける。

「今までどこ行ってたんだよ」バツが小声で言う。

『お前はあの鬼に半殺しにされたのを覚えていないのか?俺が守らなかったら死んでいたんだぞ』

「鬼で悪かったのう」

鏑穂 (かぶらほ) がこちらをちらりと見て言った。

「 ! ? お張子 (はりこ) 様,クロメの声が聞こえるんですか?」

その問いに鏑穂が首輪をつつく。「あ」首を抑えるバツ。

「余に隠しごとはなしにしようぞ」

『聞こえているならちょうどいい。お前が何を考えているのか聞かせてもらおう』

鏑穂は口を抑えてふふっと笑い,すっと杖を持って立つ。そして彌分 (やぶ) に本殿を任せると,バツを連れて出て行った。


「これはこれは。先方も本気のようじゃな」

本殿の物見から周囲を見回す鏑穂。地平線が魔族で埋めつくされているのかと思えるほどに,黒い影がひしめいている。

「まともにやっても勝ち目はなかろうが」そう言いかけてバツを見る。「さてどう戦ったものやら」

『どう戦ったものやらって,お前が神獣を召喚するんじゃないのか?』

「燐虎 (りんこ) のことか?それなら余の目の前におる」


「え?」

バツの顔がひきつる。

「わ,私,燐虎じゃありません…」

そんな戸惑うバツの両手を鏑穂が持ち,胸まで掲げた。

「守護七院が落ちれば,大零院を守るものはなくなる。そうすれば待っているものは滅びじゃ。なんとしてもこの地は守らねばならぬ」

鏑穂は不意に寂しそうな顔になる。

「バツ様,クロメ様。わたくしはいかようになっても構いませぬ。どうか,皆の命をお守りください。お願いします」

そう言って深々と頭を下げた。


『溺れるものはワラをもつかむ…か』

バツがキッと険しくなる。

「そんな言い方ないでしょ ! ?」

『こっちは殺されかけたんだ。二回もな。それを自分たちの命が危なくなったからって急に弱いフリして助けを求めるなんて,恥ずかしいと思わないのか?』

「だって,私たちが助けなかったらみんな魔族に殺されちゃうんだよ ? 」

『助けられるのか?お前が?どうやって?』

「…」言い返せないバツは唇をかむ。

『お前は Git の何を知っている?俺はお前の召し使いじゃない。やりたければお前が勝手にやればいい。それでくたばることになろうが知ったことか。俺は無力な魔族だったがそこまで落ちぶれたわけじゃないぜ』

鏑穂は無言のまま,上げた手を下ろしてゆく。それまでつながっていた糸が切れたように,こらえていた冷や汗が吹き出し,桟にもたれかかってしまう。

「はぁ…はぁ…」

「お張子様」

荒い息をつきながら鏑穂が言う。「すまぬ…皆を心配させぬよう…振る舞ってはいたが…やはり…余は…大零院様に…及ば…ぬ…」

みるみる顔が青ざめてゆく鏑穂。何度も呼びかけるバツ。それでもなお黒い瞳だけは,力を失った鏑穂を見下ろしていた。

「どうして…どうしてせっかく戻ってきたのに…また同じなの…?」

チリン,と鈴を鳴らしてバツがしゃがみこむ。

魔族になって,過去を変える力を得てもなお,滅びゆく世界を止めることはできないのか。


「…」ふいにバツが立ち上がり,剣を構えた。

『おい,何を』

ぷつっ。

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stash@{0} On primus: 0bfd8ed In the beginning there was darkness

風が吹いた。


かぐわしい香りが全身の力を奪う。頭がくらくらし,視点が定まらない。

「…あえ?」

そこは小五院の外れにある小屋だった。

杯を差し出す鏑穂と目が合う。その瞬間,鏑穂は何かに気づいた。

霊酒が効いていない。

鋭い目つきになる鏑穂。杯を捨て,手に霊力を込める。

「ま,待ってくらひゃい,わらひ,わらひれふ…」

その言葉に目を丸くする鏑穂。

「ん?おぬし…バツか…?」

何度もうなずくバツ。鏑穂の手から光が消える。

『…はぁ』

ため息をつくクロメ。バツの無鉄砲さをあきれつつも,自分の指導不足を後悔したのだった。



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