029
そのとき,本殿の鐘が激しく打ち鳴らされた。
「魔族が攻めてきた ! 」
魔族。また魔族が。
場が騒然となる。
鏑穂 (かぶらほ) が荒楽 (あらら) を見ると,荒楽は無言でうなずいて大きく息を吸った。
「みんな本殿に避難しろ ! 」
鳥の群れに銃声の響くがごとく,人々は一斉に駆けていく。
「お張子様も,さあ早く」手をさしのべる彌分 (やぶ)。すると鏑穂は人差し指をたてて言った。
「うむ。ここでひとつ皆に言っておきたいことがある」
その場に残っているバツ,彌分,荒楽が固唾をのむ。鏑穂は満面の笑みを浮かべて言った。
「もう余には霊壁が張れぬ」
本殿には焔丸 (ほむらまる) をはじめ小五院の戦力が集結している。
まず鷹の眼 (たかのめ) が状況を報告した。
「魔族は三方から接近しています」
「数は?」焔丸が問う。「そこまでは…」「じゃあ前より多いか少ないかだけ教えろ」
「はっ。…多いかと」
その場にいた皆がざわつく。
先日の戦いで消耗した小五院守護。無礼講で酒宴に興じ,本調子でない山の民。そして街の人々には隠したものの,結界を張れないほど弱っている張子 (はりこ)・鏑穂。
鷹の眼と兎の耳 (とのみ) は焔丸の猛反発も覚悟のうえで,小五院からの退却を考えている。それは荒楽と彌分も同じだった。いかにして人々を避難させるか。
ただ一人,この状況を楽しんでいるように見えるのが鏑穂だった。その隣には首輪をつけたバツが座っている。首輪には大きな鈴がひとつついており,わずかに身体を動かすだけで軽やかに鳴った。
「良い音色であろう?」
戦いにそなえ,人々があわただしく動くなか,鏑穂は平然としてバツに言った。
「は,はい?」バツが聞き返す。「鈴の音じゃ。それは飢えた虎をも鎮めるという特別なものでな。身につけた者を守り,聞いた者のたかぶった心も穏やかにする。余の杖よりもな」
バツは鈴を持ちあげてまじまじと見た。本殿に入った自分を誰もおびえないのは,そういった理由だったのか。
指ではじいてみる。
チリン。
「さてどう戦ったらよいものか」
鏑穂がバツにささやくように言う。「魔族の数は多い。それに怯える兵 (つわもの) の士気は低い。それで撤退を考えておるようでは守りの戦は勝てぬ。では乾坤一擲の決戦で死中に活を見出すか?それは無能のすることよな」
すると鏑穂は杖を持ち,床板を大きく突いた。
ジャラン,という歪んだ音に,皆の注意が集まる。
「こたびの戦,余が指揮をとる」
「お張子様」彌分が駆け寄って止めようとすると,その頬に平手打ちをして続ける。
「余が小五院を守る神獣・燐虎 (りんこ) を召喚し,もって魔族を瞬滅する。それまで皆耐えるのだ。よいな ! 」
その言葉に全員の視線が本殿の像に向かった。太陽のように煌 (きら) めく毛をもつ神獣・燐虎。それまでの暗澹 (あんたん) たる空気が一掃され,歓声にわく。
「焔丸殿には山の民の指揮をお願いする」「おうよ」焔丸が手の平を拳で打つ。
「ただし」「あ?」「危なくなったら逃げてほしい」
鏑穂の言葉に焔丸が不敵な笑みを浮かべる。「へっ。見くびるんじゃねえ ! 俺ら山の民,最後の一人まで戦ってやらあ ! なあ野郎ども ! 」
「おおーっ ! 」
鷹の眼と兎の耳が天を仰いだ。なんと余計なことを。
「彌分と荒楽は守護を半分ずつ率いよ」「はっ ! 」「おう ! 」
彌分が荒楽の吊りさげた腕を見て,笑みを浮かべる。「そんな腕で戦えるのか?」
「へっ,お前こそどうなんだ。頼みの武器は折れちまったんじゃないのか?」
「ふっ」
そう言って彌分が手に持っていた布を外す。きらりと光る黒い鞘。
「わが神剣ハヤブサの目は二つある」
「そうかよ」挑発された荒楽も腕の包帯を外す。鈍く光る手甲。
「俺の鉄腕も二個あるんだぜ」
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