031
チリン。
「それで,また魔族が攻めてくるから退治しろってか」焔丸 (ほむらまる) が首をかきながら面倒くさそうに言う。
「確かに俺のハヤブサはあと一本あるが…」
「どうすりゃ倒せるのか,策はあんのかい?」荒楽 (あらら) が身を乗り出して言った。
「それを考えるのがお前らの仕事だろう」鏑穂 (かぶらほ) が荒い口調で言う。三人の背筋がこわばった。
「…と,クロメが言うておる」
笑顔を見せる鏑穂に,三人の緊張が解ける。
泥酔したバツは,ろれつの回らない口で,クロメと会話する方法を鏑穂に伝えた。燐虎 (りんこ) の鈴,という単語がバツの口から出てきたことに鏑穂は驚いた。魔族の話は信ずるに足るかもしれない,と思った。とはいえ,大勢を集めては混乱する。そこで焔丸,彌分 (やぶ),荒楽の三人を集め,今後の計画を話すことになったのだ。
力尽きたバツは,首に鈴をつけ,鏑穂の膝を枕にしてすやすやと眠っている。ただ,黒い目だけがぎょろりと動き,不気味だった。
『敵は半日後,南をのぞく三方からやってくる。数は前回以上とのことだ』
それを聞いた皆の腹が重くなる。疲弊した小五院 (しょうごいん) 守護,酔いの残る山の民。一晩中戦いつづけた三人の疲労もかなりのものだろう。
『鏑穂が霊壁を張れないのは本当なのか?』
クロメがさらなる懸念を指摘する。だが鏑穂はそれを皆に言わない。
『秘密にしていると油断が生まれるぞ』
「…」複雑な表情から何かを読み取った彌分が,「お張子 (はりこ) 様」と促す。
観念した鏑穂は彌分たちに自身の霊力が尽きたことを話した。
「おい,これじゃ打つ手なしじゃねえか」焔丸が身体を投げ出す。前回の戦いでは,カバーしきれない魔族の攻撃を結界が防ぎ,本殿を守っていた。だがそれが不可能となれば。
「他の守護寺院も落ちたのでしょうか」彌分が誰にともなく言う。「おい,『も』って何だよ。まるでここが落ちたみてえな言い方じゃねえか」「ならばお前は守る方法を思いついたのか?」
彌分が悔しそうに言う。誰も答えない。「無念だが,皆を大零院に避難させる方法を考えるべきでは」
「もしここが落ちれば,他を落とした全ての魔族が大零院に押しよせることになる」鏑穂が強い口調で言う。今度は自分の言葉で。
「少しでも多く,敵を引きつけねばならぬ」
そう言うと,鏑穂はバツを仰向けにさせた。黒い目と向き合う。「頼むクロメ殿。その力で,皆を救ってはくれぬか」
『…』目が静止している。そしてきょろきょろと焔丸たち三人を見ると,再び鏑穂に目をやった。
『どうしても助けてほしいのか?』
「うむ。そのためなら,余はどんなことでもしよう」
「微力ながら,この彌分も ! 」話が聞こえていない彌分も,雰囲気を感じとり,名乗り出る。「俺もやるぜ」荒楽も続く。
「俺らは遠慮するわ」「なにっ」焔丸を彌分がにらみつける。「俺の大事な仲間を巻き込みたくはねえからな」
『小五院守護はどうだ?』クロメがなおも聞く。鏑穂は彌分と荒楽の顔を見た。「小五院守護はどうか,と聞いておる」
彌分はやや苦しそうに言う。「勇敢な者たちだ。お張子様がやると言えば,皆やると言ってしまうだろう」
『それは本意か?』「それは本意か,と」
クロメは言う。意思の力で集まらないのなら,もし無理強いをするなら自分は協力しない,と。
荒楽が言う。「俺たち小五院守護は,鏑穂や大零院様がいなかったら野垂れ死んでたやつらばかりだ。恩を返せるなら何だってするぜ。それが人助けになるなら,なおさらだ」
彌分もうなずく。
クロメがわずかに目を細める。地獄を知らぬ愚か者め。
『いいだろう。約束は必ず守れ』
その言葉で部屋が明るくなったように感じられた。地獄の力が人に手を貸すことになったのだから。
だがそのとき,クロメは力の代償を言わなかった。言えば,士気が地べたまで落ちることになると想像がついていたからだ。
力の代償。それはどこまでも退屈で,それでいて完璧な仕上がりが求められる書類仕事であった。
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