039

『その理由を説明してもらおうか』黒い目が見開かれる。鏑穂 (かぶらほ) は不敵に笑う。

「お前は余が思っていたよりも賢くない。ゆえにバツがこれほど苦しむことになった」

鏑穂はバツの手を引き寄せ,その場に二人で腰を下ろす。バツの髪がなでられ,鼓動が早鐘を打つ。

「バツよ,すまぬ。余はお前の心をのぞき見た」

「 ! ! 」バツの顔がひきつってゆく。と,その身体が優しく抱きしめられた。

「よくがんばったな。胸の張り裂ける思いを幾度超えてきたことか」

「…」

バツの目が焼けるように熱くなる。

「…いいえ…」

昔のクセでバツは否定する。けれども自分が繰り返してきたことは無駄ではなかったのだと,初めて言葉にされたように感じた。

『お張子様…バツ…』それを盗み聞きしていた彌分 (やぶ) が,代わりに大粒の涙を流している。

「何を考えておるかもわからぬ魔族と戦いつづけること。それがどれほど恐ろしかったことか。つらかったろうな…」「…」


「と,そこが肝要じゃ」

ばっ。

急に鏑穂はバツの両肩を持って引き離すと,その目を見て言った。「わかるか?魔族のわからなさ,捉えどころのなさが大事であると」

「え?」突然のことに,こぼれそうになったバツの涙が瞳に飲みこまれていく。

「はじめに魔族が攻めてきたとき,余は不思議で仕方なかった。どうしてこやつらは何のためらいもなく霊壁に吸われていくのか。恐れもなく,かといって勇気をふりしぼっておるわけでもなく,まるで亡霊のようじゃった。おかしいと思わぬか?恐れとは,こんな小虫にさえ備わっている,すべてのものが在り続けるための摂理じゃ。もし魔族が我らの道理から外れたものならば,我らに抗うすべはないと,余は怖かったよ」

別の世界で,鏑穂が助けを求めてきた情景が浮かんだ。いつもは飄々 (ひょうひょう) とした態度の鏑穂であるが,あのとき,本当に追いつめられていたのかもしれない。

鏑穂の温もり,そして心地良い香りに,バツの目がトロンとしてゆく。『おい,起きろ。話は途中だぞ』

ふふっ,と鏑穂は微笑み,話を続ける。「じゃがな,二度の戦を経て余は確信した。こやつらは何も考えておらぬ。雲が風に従うように動いておるだけじゃ。そうでなければ,こうもたやすく我らの策にかかることなどない。そうであろう?」

クロメは驚いた。鏑穂はこのわずかな戦いで,自分でも気づかなかった魔族の特性を見抜いている。

「敵の質さえわかれば霊壁を張るのもたやすい。もしくは,院の外に霊針でも立てておくかの?」

『俺のような魔族がいるとは思わないのか?』

「おらぬとは言わぬが…」そう言いながら鏑穂がバツの耳をなでる。「それほどの力があるなら,数で攻めずとも力で攻めればよいのではないか?雷,嵐,地割れ,いかようにも手はあろう。…ふむ,少し汚れておるな。掃除はしておるか?」

もはや魔族の襲撃など気にも留めないような話しぶりの鏑穂。その豪胆さに,クロメは鏑穂から人ならぬ器の大きさを感じる。

「ただ困ったことがひとつあってな。大零院のことじゃ」口をヘの字にして天を仰ぐ。「凶 (まがつ) が戻ってこぬから,向こうがどうなっておるのか見当もつかぬ。人を送ろうにも,我らは院を元通りにせねばならぬ。…寝てしもうた。彌分」

小さく呼びかけられた彌分が,すっと部屋に入ってくる。

『俺たちが行こう』抱きかかえられたバツの黒い目だけがそう言った。

「護衛もやれぬが,よいか?」『いざとなれば俺が守ってやる』

「頼もしいことを。ただひとつ,気に留めよ」『何だ』

「壊れるまで放っておくことはせぬように」



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