037
「お張子 (はりこ) 様,そろそろ」彌分 (やぶ) が促す。
「うむ」
物見の真ん中に立つと,鏑穂 (かぶらほ) は両手を組む。
「…」
目を閉じ,そして印を結ぶと,張子の舞いを始めた。夜空の星が線となってするするとおりてくるように,鏑穂を囲んでゆく。それは日輪の輝きを放っていた。
引き込まれるようだった。彌分も荒楽 (あらら) もあまりの美しさに無言で見とれている。
鏑穂の身体が汗ばみ,舞いの勢いが増してゆく。風がないにもかかわらず,荒楽たちの髪がなびき,バツの鈴がチリチリと鳴った。
やがて鏑穂を中心にした光の球が大きくなり,本殿を,そしてガレキと化した街を包んでゆく。
世界が真っ白になった。
次の瞬間,
だんっ !
鏑穂が両足を激しく鳴らした。すると光の粒がはじけるように,一瞬にして物見はもとの夜闇を取り戻す。残った光がホタルのようにちらちらとあたりをただよっている。
「…ふぅ」倒れそうになる鏑穂を荒楽が支える。「はぁ…はぁ…どうじゃ」
荒楽は鏑穂を抱き上げ,前に進んでゆく。
「おおっ ! ! 」
眼下に広がる,月明かりに照らされた廃墟。そこを埋めつくしていた異形の者が姿を消していた。
鏑穂の結界が魔を退けたのだ。
勝利を告げる鬨 (とき) の声が聞こえてくる。それとは関係なく歓喜にわくのは街の人々と山の民だ。
「おい,いつまでそうしてるんだ」彌分がうらめしそうに言う。
「おっと」荒楽が鏑穂を下ろそうとして,身体を止めた。静かな寝息が聞こえてくる。荒楽は彌分を見て苦笑いした。
その日は魔族の襲撃もなく,雲ひとつない快晴だった。
清められた本殿の縁側に人が集まっている。
ただ一人,それと向かいあう鏑穂だけが,地べたに座していた。
「余の失態でこれまで多くの者を傷つけることになってしまった。すまぬ」
そう言って鏑穂は土の地面に頭をつけた。本殿の人々は,そのみじめな様子を心苦しそうにながめている。
初めから魔族に対し適切に対処できていれば,これほど多くの被害を出さずに済んだかもしれない。いかなる理由があれ,小五院 (しょうごいん) を導く者として許されぬことであった。家や家族を失った者もある。それでも張子なしでは魔族の襲撃から生きのびることはできない。憎い相手に頼っていかなければ生きられないという,その葛藤が余計に彼らを苦しめる。鏑穂にできることは,少しでも彼らに穏やかな暮らしを与えることであった。
「バツ,そこにおるか」
なおも正座したままの鏑穂が呼びかける。彌分,荒楽とともに,鈴の音が続いた。
「魔族」「魔族だ」「どうして魔族が霊壁のなかに」場が騒然となる。鏑穂の鈴がなければパニックになっていたかもしれない。
バツの横で鏑穂が続ける。「バツは大零院 (だいれいいん) の使いでな,悪しき魔族ではない。それにこたびの戦いで皆を救ったのだ。ただ一人,山の民に助けを求め,そして攻めよせる魔族の数を余に知らせた。この者がおらねば,我らは皆生きてはいなかっただろう」
彌分,荒楽を含め,小五院守護全員が拍手する。その雰囲気にあわせるように,他の者も手を叩く。
鏑穂が目くばせをし,バツがぺこりとお辞儀をして話しはじめる。
「私は大零院から来ました,バツと言います。いま,霊山は魔族の攻撃を受けています。魔族から霊山を,そして大零院様を守るためには,皆さんの力が必要です。こんな大変な状況でお願いするのはおかしいと自分でも思います。ですが,霊山を守るためにも,どうか,お願いします」
そう言ってバツは頭を下げた。すると,本殿の後ろの方に座っていた焔丸 (ほむらまる) が口を開く。
「力を貸すっていってもよ,俺らにそんな余裕はないぜ」
ぱっと頭を上げてバツが言う。
「そんな大変なものじゃありません。皆さんの一滴,血を一滴,私にください。それだけで十分です」
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