036
鏑穂 (かぶらほ) の膝を枕にして眠るバツ。あごをなでると,時折気持ちよさそうに鈴を鳴らす。
「ったく,魔族が攻めてくるってのに,こいつはのんきに昼寝かよ」
そう焔丸 (ほむらまる) が言うと,鏑穂はわずかに笑みをうかべる。「そう言うでない。かわりにクロメ殿がむこうの戦力を丸裸にしてくれたではないか」
「そうは言うけどよ」荒楽 (あらら) が腕を組む。「俺ぁ,こんな分の悪い賭けにのったことはないぜ」
「ふっ。怖いのか?」彌分 (やぶ) が挑発する。「んなわけあるかい ! 」腕を振り上げる荒楽。
「これ。戦う前からケガをしてどうする」鏑穂がそう言っていさめる。だが荒楽の言う通り,敵の数がわかったところでどうにもならないほどの戦力差があった。陣立てを変えてくつがえせるものではない。
部屋の外では,いつでも打って出られるよう,小五院 (しょうごいん) 守護と山の民が集まっている。彼らの士気は高い。それとは対照的に,重い空気が部屋を支配する。
チリン。軽やかに鈴が鳴った。
「ん…」
何も知らない,いや,全てを知り,疲れはてたバツが,眠ったまま鏑穂の膝に頬をこすりつける。
「そういやさっきもこんな感じだったな」焔丸が言った。
鏑穂の膝を枕に眠るバツ。それと向かい合う焔丸,荒楽,彌分。
「お張子 (はりこ) さんがバツをべろんべろんに酔っ払わせたんだっけか?」
「おぬしらは今でも酔いがぬけておらんではないか」鏑穂が皮肉を言う。「ケッ。俺らは酔えば酔うほど強くなるんだよ」
「口の減らんやつだ」そうあきれる彌分。だがふっと,何かが脳裏をよぎった。
「 ! ! 」刹那,全身に電撃がはしる。
「お張子様,それです ! 」身を乗り出して言う。
「ん?」きょとんとした顔の鏑穂。だが直後,焔丸も同じ答えに行き着き立ち上がった。
「それだよ ! その手があったじゃねーか ! 」
バツに目を落とし,その髪を手でぐしゃぐしゃにする。うなされるバツ。
「これ,やめぬか」「こいつの昼寝も役にたつときがあるんだな ! 」乱暴を注意する鏑穂に,焔丸はニッと笑った。
「ははっ。こりゃすげえ ! 」
本殿の物見から見下ろしながら,驚嘆の声をあげる荒楽。月に照らされたかつての街には,足の踏み場もないほどに,魔族たちが折り重なっている。
昨晩の戦いでガレキの山と化した街に,小五院守護たちはありったけの霊酒と香を置いた。それに引き寄せられた魔族たちは,酒を取り合って争い,そして次々に酔った。さらに香の効力もあいまって,一匹残らず意識を失ったのだ。
彌分に背負われたまま,未だ眠るバツは,黒い目だけをぎらりとのぞかせている。
『戦わずして勝つとはな。それにしても,霊酒とはこれほど強力なのか?』
「おぬしは半分が人だから効かんのだ。ふつうはひと口飲めば足腰も立たん」
クロメの問いに鏑穂が答えると,荒楽が両手を腰に当てて言う。
「それなら最初から使えばよかったじゃねえか」
鏑穂はふっと笑みを浮かべて言った。「忘れておった」
「はぁ ! ?」間抜けな顔をする荒楽に,思わずくすくすと笑ってしまう。「許せ。これだけの魔族を相手にしたのは初めてじゃったからの」
そう。小五院も山の民の加勢がなければ,おそらく落ちていた。そして他の守護七院は…。
鏑穂は不吉な予感にキッと口を結んだ。
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