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宮殿の外に出たところでタニシが言う。「戦いになるかもしれない。アーケイの祠に祈っておけ」

「アーケイか…」いくら安全を確保するためとはいえ、やはりマーラ以外の祠に祈るのは気が引ける。それでもしぶしぶと港の反対側へ足を向けるシフ。

「首長、いい人だったな」歩きながらシフが言う。

「誰が?」

とぼけるタニシにシフがムッとして言う。「首長って言っただろ」

「ああ、首長か。いい人、ね…」思うところがあるのかタニシは歯切れの悪い返事をする。「まあ、いい人ってのはそうかもしれんな」

シフが立ち止まる。「何か知ってるのか?」

タニシは答えずシフの背中をぐいぐいと押す。「ほら。急がないと逃げちゃうぞ」「ちょっと。急かすなよ。痛いって」

シフは言われるまま足を進め、まずマーラの聖堂にある祠に祈った。次いで、死者の間にあるアーケイの祠に祈った。マーラの加護が消え、アーケイの加護に満たされる。

ぞくり。

今までとは違う身体の感覚に震えた。死者の間が寒いから、もしくは埋葬前の遺体が近くにあるからかどうか定かではない。何か、自分の心が離れ、手足が以前よりも近くにあるように感じた。身体が思いどおりに動く。

これがアーケイの力か。悪くない、とはじめシフは思った。そしてすぐに頭を振って手を組み、心の中でマーラに祈った。

浮気したかのような強い罪悪感を抱きながら、シフはリフテンの港へと向かった。

****

桟橋に当たる波の音だけが響く。倉庫の扉の前で、シフは汗ばんだ手で錠前に手をかける。

タニシが耳打ちした。「盾を構えておけ。戦闘になったら身を守ることを優先するんだ。いいな」

シフは無言でうなずき、鍵を回した。

ガチャリ。

刹那、タニシが扉に身体を押し当て中に入る。

剣。戦槌。雄叫び。

サルティスとその手下は、扉が開くやいなや問答無用で襲いかかってきた。相手は二人。争いは避けたかったが、仕方ない。シフが盾を構えながら剣を抜く、までの間にタニシが鋭く戦槌を振るった。態勢を崩すサルティス。その後ろから剣を振り下ろすシフ。

硬い。金色に輝く鎧が剣を弾く。シフはすぐさま武器をしまい、火炎を放つ。が、サルティスの身体を炎がかすめていくようで手応えがない。

こいつ、ダークエルフか。

ダークエルフはその特異な肌が炎を水のように弾く。表情は兜に隠されてうかがえないが、このスクゥーマの密売人はシフを標的に選んだようだ。もう一方にタニシが引き付けられているのをいいことに、戦槌を振り回して侵入者の肉と骨を砕こうと迫ってくる。

「くっ」扉は閉まっている。外から開く構造ゆえ、敵に背を見せなければ逃げることもできない。

倉庫の床には乱闘で荷が散乱する。それを蹴飛ばしながらサルティスが追う。シフは逃げる。剣も魔法も通じない相手から。

盾を構えるそぶりをしながら距離をとり、戦槌の一撃をかわすシフ。このダークエルフはまだ気づいていない。シフがまだ盾を使い慣れていないことに。盾を構えながら走ることさえできず、構えているだけでスタミナが減るほどの素人だった。

突然のことだった。戦槌を振る音が低くなった。同時に、サルティスの動きがスローモーションのように遅くなる。

息切れだ。重い鎧で走りまわりながら超重量の武器を振り回しつづけられるはずがない。

ここだ !

シフが盾を押し出した。サルティスが姿勢を崩す。再び武器を振るおうとする腕に、さらに平たい盾がぶつかる。激痛にサルティスは呻いた。指甲が歪み、中で骨が砕けたのを感じる。シフはさらに幾度も盾を打ちつけてくる。

「うぐっ」気力を振り絞り、戦槌を握りしめるサルティス。だが盾はハンマーのように絶え間なく叩きつけられ、次第にあれほど頑丈だった鎧の形が変わってゆく。身体の内側に。鎧が、肉に、骨に、食い込む。

盾は臆病者の防具ではない。九大神の一柱にして力と正義の神、ステンダールの証なのだ。腕に持ったこの板は、攻撃から身を守る障壁であると同時に、敵の攻撃さえも封じる可能性を秘めた強力な武器でもある。なぜならステンダールは、盾という何の変哲もない板に恐るべき祝福を与えたからだ。

相手の姿勢を崩すという、圧倒的な戦況コントロール能力である。

攻撃を放とうとするガラ空きの身体に盾が打ちこまれれば、必ずよろめく。必ず。それは伝説の英雄やドラゴンであっても例外ではない。シフはショール・ストーンでの戦いで、自らの軟弱な腕が頑強なオークをよろめかせたことに驚いた。そしてこの防具が、猪突猛進の強敵と一対一で戦うときに最高の武器になると直感した。

ただ、どんな力にも代償はある。盾による打撃はスタミナを激しく消耗する。シフの目がわずかに焦点を失い、盾の打撃が止んだ。

好機。サルティスはわずかな隙を突いて治癒の薬を飲む。

傷がみるみる塞がる。指の感覚が戻った。勝った。

サルティスは確信して戦槌を握り直す。

ゴクリ。

と、その耳が自分のものではないかすかな嚥下音をとらえた。

サルティスの目にうつったのは、緑色の液体を飲むシフ。

療養の薬。

シフのスタミナがみるみる回復する。

そしてケープの内側に、まだ何本も緑色のビンを隠しているのが見えた。


…ちくしょう。



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