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「おい」

ショール・ストーンの金床でハンマーを振るいながらシフが呼んだ。タニシは葉を揺らす風に雨の近さを感じながら、聞かないふりをしていた。

「おい、タニシ」ハンマーを置いたシフがタニシに近づく。「何だ」「聞こえてるんじゃないか」「俺にはタニシって名前がある。返事してほしいなら名前で呼べ」

いつもと違う心の距離に、シフは面食らった。何か言えばその溝が広がるような気がして、黙りこんでしまう。

「続けろよ、作業。まだ完成してないんだろ」タニシは目を合わせず、背中で言った。しぶしぶとシフは鍛冶場へと戻り、タニシに言われたとおり、鋼鉄の鎧を打つ。

クラッグスレイン洞窟はここからそう遠くない。道なりに街道を下り、分かれ道から東へ少し進んで林へ入れば見えてくる。ただ、スクゥーマの製造拠点ならそれを守る用心棒も手強いに違いない。そこで守りを固めるため、着慣れた服の代わりにシフに鎧を着せようという算段となった。

相手に魔術師がいないことを祈るばかりだ。付呪を施さない鎧など、魔法の前では無力に等しい。

「なあ」

凝りずにシフが大声で呼んだ。「何だ」あきれた調子でタニシが答える。

「前に魔…の話してたろ?」

鋼を打つ音に声がかき消される。「聞こえないぞ」

ガンガン !

その返事さえ打ち消すようにハンマーが金床で鳴った。こいつ、鍛冶屋のフィリンジャールの真似でもしてるのか?まるで人の話を聞きたくないようなそぶりじゃないか。

仕方なくタニシが鍛冶場へ向かいシフに話しかけると、ズン、と腹にヒジが入れられた。思わずうめくタニシ。

「フンっ」鼻から息を吹き出し、タニシへの不満を示したシフは、丸くなった鋼板を無言で炉に入れ、縄を引いてふいごで空気を送り始めた。

キュラキュラと滑車が鳴り、炉が脈打つように真っ赤になる。

「前に魔闘師 (バトルメイジ) の話してたろ」シフが言う。

「ああ」「バトルメイジって何だ」

「…」決戦を前に、ようやく興味を持ってくれたのか。わずかに嬉しくなったタニシはそれをさとられないように平静を装いながら、身振りをまじえて話し出す。

「戦士は鎧を着て武器で戦う。これの弱点は魔法に弱いことだ。一方で魔術師はローブを着て魔法で戦う。これだと弓矢一発でおしまいだ。そこで魔闘師は鎧を着て魔法で戦う」

無敵じゃないか。そう思ったシフがタニシを見上げて言う。「それじゃあどうしてみんな魔闘師にならない?」

「時間がかかるからだ」タニシは一言で答え、表情を変えずに見つめるシフに続ける。「重装は集中を乱すから、よほど着慣れていなければまともに魔法を唱えられない。戦士としても魔術師としても一流じゃなきゃ務まらないってことだ。そこまで我慢して訓練できるやつは滅多にいないから、昔は帝国の精鋭として引き抜かれたらしいが。帝国の力が弱まった今となってはな…」

シフは鋼板を金ばさみで引き上げると、それを水に浸けた。激しい湯気に、二人の姿が見えなくなる。タニシはそれを『話が長い』という合図に受け取った。おそらくそれは正しい。そしてそんなことを水に浸けられた鎧は知る由もなく、極端な温度差で鋼の結晶が不規則にからみ合い、飛躍的にその強度を高めてゆく。

「俺はシフならそれをなしとげられると思った。いや、そうなってもらわなければならない」

「ドラゴンか」板を水から引き上げたシフは、再び金床で打ち始めた。先よりも甲高い音が鳴る。

「ああ。それと、吸血鬼」

「吸血鬼…」「吸血鬼のなかには、鋼よりも硬い黒檀の鎧を身につけたエリートがいる。夜道で会うようなやつらとは桁違いだ。おそらく下っ端のドラゴンよりも強いだろう」

山賊よりも厄介な魔術師。魔術師よりも厄介な吸血鬼。吸血鬼よりも厄介な黒檀の吸血鬼。それですらドラゴンの中では下っ端程度でしかないとタニシは言う。いま鋼を打つシフがそこへたどりつくにはどれほどの時間がかかるのだろう。

「やる気を削ぐようなことを言われると仕上がりが雑になる」

どん !

丸みを帯びたその板を作業台に乗せると、既に拵えていたもう一枚の板を立て、鎧に見立てた。

「どうだ」シフがタニシに言う。鈍く光る胸当て。革ひもで補強すれば、並の矢を跳ね返す心強い味方になるだろう。

「それ、俺のか?」タニシが驚く。「試作品が失敗しても死ぬのは私じゃないからな」

意地悪そうにシフが言う。その頬を引っ張ってからかうタニシ。

「おっさん ! ちょっと見てくれよ ! 」嬉しさのあまりタニシが日向で休んでいたフィリンジャールに呼びかける。

「お、できたのか」

声に気づいたフィリンジャールは大きな足音を響かせてやってくると、丸太のような腕で鋼板を持ちあげ、しげしげとながめた。緊張の面持ちで待つシフ。


「ほう、大したもんだ。お前さん、前世は金づちだったのか?」

ニッと笑顔を見せるフィリンジャール。晴れて喜ぶシフ。その肩を抱いてほめるタニシ。

伝説の職人には程遠いが、シフは着実にその階段を登っている。鋼鉄の鎧で身を固められれば、いずれ山賊を恐れることもなくなるだろう。



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