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獣道に繁る草をかきわけて進むと、オオカミの遠吠えが耳に届いた。思わずシフがしゃがむ。タニシがシフの前に出て、慎重に先へ進んだ。

ここに来る前に確認したことはひとつ。余計なことはしゃべらず、とにかく生き残ること。口を開けば、もしくは余計に身動きをすれば、その音ですぐに気づかれる。


檻が並んでいるのが見える。オオカミの鳴き声はそこから聞こえてくるようだ。見張りは一人。タニシが無言で背中の戦槌を抜き、構えた。それにあわせてシフも剣を抜く。

「うおおっ」

タニシが草むらから飛び出した。背後からの襲撃に不意をつかれた見張りは、武器を構える間もなく一撃を食らい、態勢を崩す。さらにその脇から伸びてきた鋭い剣に胸を斬られ、助けを呼べぬまま息絶えた。

「マーラの慈悲を」

アミュレットを手で握り、シフが祈る。タニシがその亡骸を探ると、紫色のビンが見つかり、シフに見せた。無言でうなずくシフ。スクゥーマだ。間違いない。ここがリフテンを汚染する元凶、クラッグスレイン洞窟。

並んだ檻には一頭ずつオオカミが入れられている。うなるだけで吠えてきたりはしない。飼われているんじゃないのか?もし捕まえてこられただけなら、逃がしてやりたい。そんな思いに戦いへの集中力をかき乱されながら、シフはタニシとともに洞窟の中へと入っていった。


「これは驚いたな」

明かりが見えるやいなや、壁によりかかっていた見張りが二人に気づき、武器を抜いた。負けじとタニシが応戦する。狭い通路でシフは前に出られない。

どっ、と黄と赤のまざったしぶきがあがった。ぐらつくタニシ、の横をすべるように、頭を割られた敵がずるりと力なく崩れ落ちた。そのまま振り返らず奥へと進むタニシ。まだ敵がいるのだ。シフは盾を握り直してその後へと続いた。

広い場所に出た。天井からぶらさがる何本ものランプが土の壁を照らす。酒とスクゥーマが並ぶカウンター。部屋の中央にある円形の柵。その中のオオカミの死骸。襲いかかってくる山賊くずれの用心棒。ダガーを持った平服の人々。

賭博場か。

シフはスタミナのポーションを飲んで戦いに加わった。手ごたえはない。相手は訓練されていない、もしくはスクゥーマ中毒なのか、あっという間に死体が積み上がった。

「終わったな」タニシが戦槌をしまい、返り血まみれの顔でシフに話しかけようとする。その口をシフがふさいだ。がちゃり、と遠くで何か重い音がする。まだ敵がいる。

シフが治癒のポーションをタニシに渡す。危なくなったら使えという合図。タニシは無言でそれを受け取ると、先にカウンターの横に続く部屋へと足を踏み入れた。

「ここに来るべきじゃなかったな」

錆びた色合いの鎧、『帯鉄 (おびてつ) 』の装備をまとった屈強な戦士が、血のこびりついた戦槌を手にして向かってきた。

処刑人ブッチャー。鎧の隙間からのぞく筋肉は隆々と盛り上がり、これまでの相手とは段違いの強敵であることを誇示している。そしてその恐るべき実力はすぐに明らかになった。

どん、とタニシの横振りを背中で受けるブッチャー。その頑丈な肉体はびくともせず、戦槌はこう使うのだとばかりに、無防備なタニシの背中目がけ重い先端を打ちつけた。

鈍く何かが裂ける音。ぐらりとタニシが膝をつく。

「タニシ ! 」案じている暇はない。一撃で数的不利を覆したブッチャーは、新たな標的に向かってくる。盾を構えるシフ。大きく振りかぶるブッチャー。

それが放たれれば、盾などお構いなしに、シフの身体は肉の塊へと変わる。にもかかわらず、シフは自分でも驚くほど冷静だった。ブッチャーの背後に並ぶスクゥーマや贅沢なご馳走、そして腰の高さほどもある巨大な宝箱、それらを同時に視界に収められるほどに。

シフの盾が相手のヒジを突いた。思わず態勢を崩すブッチャー。さらにその身体を炎が這う。

わずかに怯むブッチャー。けれども火は表面の毛を焦がしただけで消えた。思わぬ反撃はブッチャーを逆上させる。

「今日死ぬ気分はどうだ ! え !?」

横振り、柄打ち。間断ない攻撃で責めたてる。シフは腕のしびれを隠しながら、目だけを盾の後ろからのぞかせ、まるで岩のように身を固めながらわずかな隙に火炎を放った。その目はブッチャーの大振りだけを見張っていた。その渾身の一撃さえ受けなければ絶対に負けないという確信があった。

逆に言えば、どれだけ優勢であろうとその一撃でシフの命は消えるということだ。ひりひりする緊張感、あまりの興奮で足が震え、胃液が逆流しそうだった。それなのに、シフは口の端が上がるのを抑えられなかった。

わくわくしている。自分はこんな戦いを求めている。持久戦のなかでブッチャーの左腕がただれ、ヒジの骨が砕けても、振りかぶる右腕一本さえ十分なこの状況では、いつでもシフの頭は消し飛ぶというのに。それでもそんな敵とまともに相対している勇敢な自分に喜んでいた。

そしてシフはそんな自分が嫌だった。

****

ブッチャーの亡骸はスクゥーマの並ぶカウンターのそばにあった。かたかたと震える手で盾を握り、大きく息をついているシフ。背中をさすりながらタニシがやってきて、「終わったな」と言った。

顔を上げたシフ。その目が合ったタニシはぞっとした。

まるで生気のない瞳と、わずかに開いた口が、どこまでも深い暗闇へとつながっている。ぱくぱくと唇だけ動かすシフ。ごとりと盾を落とすと、タニシに抱きついた。ふわっと血のにおいの奥からただよう甘い香り。一瞬どきっとしたタニシだったが、間もなく、小さく声をすすりあげるシフに気づき、その背中を優しく抱いた。



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