028
カラカラン。
二人の後ろでドアベルが鳴り、みるからに高級な服をまとった女性が入ってきた。
「あら、今日はお客さんがいるのね。どこの人?」
そう言ってシフの横からのぞきこんでくる。ふわっと芳しい香りが鼻をくすぐった。
「あ、ちょっと」驚いたシフの身体が固まる。女性はカウンターの上に置かれたビンに目をやった。「ふぅーん、マジカ回復減退の薬ねぇ…。あなたも毒に興味があるの?」
「え?」「毒っていいわよね。生命の統一性が失われて、少しずつ無機質な物体に変わっていくのよ。私はその仕組みに興味があるの」
シフが答えるのを待たず、眉間に皺をよせて腕を組む。「でもねえ。実験に使う素材が足りないのよ。もし集めてきてくれたらお礼をするわよ。どう?」
首をかたむけ、妖艶な目つきでシフに問う。と、ぐいとタニシが引き寄せて耳打ちした。「ブラック・ブライア家当主の娘、インガンだ。適当に断れ。変なことに巻き込まれるぞ」
そう言われ、シフは改めてインガンを正面から見る。よく手入れされた長い黒髪に、聡明さをたたえた切れ長の目。すらりとした顔立ちにハリのある肌。リフテンを行き交う者にはない清潔な雰囲気は、タニシの言うように財ある者にしか醸し出せないものだろう。
「きれいな人…」思わずシフはつぶやいた。
「は?」
「ふふっ。アッハッハ ! 」
動転するタニシに、人目もはばからず腹を抱えて大笑いするインガン。何がおかしいのかわからずきょとんとするシフ。
「あなたって面白い人ね」目尻の涙をぬぐいながらインガンが言う。下心のない本心が、インガンには相当おかしかったようだ。タニシは心の中で歓喜した。好機。ここで気に入られれば、リフテン最大の名家から金銭的な支援を得られるかもしれない。
「ごめんなさいね冒険者さん、面白い人なんて言って。私はインガン。インガン・ブラック・ブライア」「シフです。銀狼のシフ」
「銀狼…」インガンが指を唇にあててシフの全身を見る。銀狼には似合わない容姿、といった様子で。ただシフは慣れているので、心には留めるが表には出さない。
「そう。よろしくねシフ。それで、どう?私が欲しい素材、集めてきてくれない?」
「どんな素材ですか?」
「ニルンルートが 20、デスベルが 20、それと、ベラドンナが 20 あれば十分よ」
インガンは平然と言ったがタニシの血の気が引いた。とんでもない量だ。ポーションに変えて売れば数千セプティムにもなる。しかしここで下手なことは言えない。ブラック・ブライア家の気に障ればリフテンで生きていけなくなる。
「どこに生えているんですか?」「そうね、ニルンルートはスカイリムの各地に生えているわ。水辺の近くで鈴が鳴る音がするから、すぐにわかるはずよ。デスベルは、そうね、ハイヤルマーチの湿地で見つかると思う。青い花よ。ベラドンナは、うーん、ファルクリースの墓地とか、ジメジメしたところで見つかると思う。紫の花だから目立つはずよ」
つらつらと説明するインガンの言葉を、シフは頭の中で整理した。残ったのは素材の色だけだった。確実なのは音でわかるという素材くらいだろうか。
「…」わずかに心配そうな顔をするインガンに気づき、顔を上げて言う。「頑張ってみます」
「よろしくね。母は私の研究に興味がないから、支援してくれないのよ」
そこまで言ってインガンは手を叩いた。「そう。あなたたち昼食は済んだ?よければこれから一緒にどうかしら。リザーブも出すわよ」
ブラック・ブライアのリザーブ。スカイリムで飲める酒のなかでは最高級の一品だ。タニシの心が躍った。それだけじゃない。リザーブを出すということは、ブラック・ブライア家の屋敷で食事がとれるということだ。当主のメイビン、別名リフテンの真の首長、にも会えるだろう。リフテンに足場を築く大チャンスだ。
うなずけ。タニシはシフに必死の念を送る。
するとシフはインガンにお辞儀をして言った。
「すみません。私、ショール・ストーンに鉱石標本を取りに行かなきゃいけないんです」
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「はぁ」
街へ続く階段を昇りながら、落胆したタニシが溜め息をつく。背中からシフが声をかけた。「早く歩けよ。後ろがつかえてる」
タニシはうらめしそうな顔で振り向く。「すまんな…このまま貧乏から抜けだせないような気がしてな」
結局シフは昼食の誘いを断った。幸いインガンはその程度で怒るような人物でなく、素材集めに協力すると言ったシフに感謝して別れたのだが、タニシはがっくりと肩を落としたまま背筋が伸びなかった。名家に気に入られる千載一遇のチャンスを…。
こいつ、絆、き・ず・な、がどれほど強い力を持つのかわかっていないのか?
そんな落胆するタニシの気持ちなどお構いなしで、重くなった金貨袋にシフは満足だった。200 セプティムはあるだろう。鹿肉のチョップ、キャベツのポテトスープ、スイートロール…。何を食べようか想像するだけで浮かれてしまう。
何より偉い人に酒を勧められることがない。
ノルドは酒を水がわりに飲む。事実、スカイリムで清潔な水は酒と同じくらい高価だ。ただ、酒は視界がぼやけ、疲れやすくなる。だからシフは酒が苦手だった。多少高くてもミルクの方が好きだった。一方でタニシにとっての酒は、シフにとっての聖女マーラと同じくらい欠かせないものだった。酒は臆病風を吹き飛ばし、一時的に体力が増えたような錯覚が得られる。景気づけに一杯仰いで戦いに入ることさえある。
ただタニシの事情なんかシフには知ったことではない。昼間から酒など考えられず、インガンの誘いを断るのは必然だった。それに、最初、面倒事に巻き込まれないよう適当に断れと言ったのはタニシなのだ。誘いを断ったところで何を落ち込むことがあるのか。まあ、それを口に出せば、小間使いと客は違うと反論するだろうが。
シフがそんなふうに思っていると、タニシはその足でリフテンの宿でなく鍛冶屋に向かった。そしてシフの財布をひょいと取り上げると、『職人のマニュアル』を購入するのに 200 セプティム払った。。
シフの財布は一瞬にして羽毛の軽さを取り戻してしまった。
ひどい。どうして。涙で視界がにじみ、金貨の枚数が増えたように見えた。だが実際の所持金が増えることはなかった。
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