031
「うぐぐ…」
リフテンの北門を出て街道を進みながら、シフは呻いていた。心の迷いとは裏腹に、道の両脇には鮮やかな紅葉が広がり、はらはらと舞い落ちてくる。日差しは暖かく、ここが寒冷な土地であることを忘れるほどだ。
「だめだ。私には愛のない結婚なんてできない」シフは立ち止まって言う。タニシはそれを聞いていないかのように肩を押し、横道にそれるよう促す。
「安心しろ。俺にもそこまでシフに心を許していない」
ダン !
シフがその場で強くかかとを大地に叩きつけた。「誰もお前のことは言ってない」
おっかない、といった調子でタニシが肩から手を離す。シフが相手のことを『お前』というときは本当に怒っている合図だ。
フンッ、とシフは荒く鼻息をつき、地面に穴が空くほど強く足を踏みしめながら先へ進んだ。
遠くに見える灰色の建物はグリーンウォール砦だ。街道の舗装は消え、草が削れてできた砂地を進んでゆく。林越しにうっすらと砦をながめながら、二人は北へと進んだ。今回は山賊に気づかれずに済んだようだ。
グリーンウォール砦はこの付近で暴れる山賊の本拠地へと変わり果ててしまった。リフテンもその襲撃に備え、街の北に複数の物見櫓を立て警戒を怠らない。街道を遮るように立つこの砦を山賊が占拠して以来、商人や旅人は道を大きく迂回しなければならなくなった。追い払おうにもリフテンの戦力は内戦にとられ、野放しの状況が続いている。
二人が並木道を進んでいくと、やがて煙の昇るのが見えてきた。レッドベリー鉱山に隣接する小さな村、ショール・ストーンだ。鉱山労働者の宿舎と鍛冶屋、そしてこの地方では貴重な溶鉱炉が見える。お椀をかぶせたようなドーム状の小さな炉は、簡易な造りながら達人の技術の粋が詰まっている。内部の火力はドラゴンの炎にも負けないほど猛烈で、鉄の鎧もなんなく融かし、新たな武具の礎を生むのだ。
妙なのは、宿舎前の焚き火は消えて久しく、閑散としていることだ。鉱山入口の前に立つ衛兵にも覇気がなく、ぼんやりとしている。
シフは鍛冶場の前でハンマーを振るう人物に声をかけた。
「すみません」
カンカンと甲高くはねる音に声がかき消される。「すみません ! 」カンカン ! まるで話をしたくないかのように音が強まる。シフはムッとして鍛冶場のふいごを操作するロープに手をかけた。
「バカ ! 素人が触るな ! 」ハンマーの男が激しい剣幕で怒鳴りつけてきた。聞こえているじゃないか。シフは歯を食いしばり、文句を言いたいのをこらえて「リフテンの錬金術師から鉱石標本を受け取りに来たんですが」と言った。
「なに?…ああ、ハフジョルグの使いか」
ショール・ストーンの鍛冶職人フィリンジャールは、険しかった表情をやわらげハンマーを下ろす。「いつまでも来ないんでな。もう忘れたのかと思ってたよ。少し待っててくれ。今持ってくる」
エプロンで手を拭い、鍛冶場に隣接した小屋に入ると、間もなく赤い鉱石を持ってやってきた。
「ほらよ」
シフの手に乗せられたそれは、鉄の赤錆とは違う、不思議な色を放っている。
「もう用は済んだろ。悪いが仕事があるんでな」
そう言ってフィリンジャールは熊のような大きな背中を向け、再びハンマーを打ち鳴らしはじめた。そうはいっても、手入れが必要な武器は近くに見えない。意味もなく鉄板を叩いているように見えた。
「困ってることがあるんですか?」シフが思ったままを言う。再び太い腕の動きが止まった。そのまま振り返ると、ずいと真正面に立って顔を近づけてくる。
「困ってるだって?見ろよこのありさまを。ショール・ストーンはもうおしまいだ。あの忌々しいクモどもめ」
シフが総毛立つ。「クモ…」
「ああ、そうだよ」フィリンジャールはシフから顔を離して続けた。「鉱山にフロストバイト・スパイダーが住みついたんだ。おかげで鉱夫は全員失業さ。おまけに砦の山賊のせいで、商人も怖がってここにはやってこない。くそっ」
拳を壁に叩きつける。飾られていた盾と剣が落ちた。盾が下手なシンバルのように床を鳴らす。その音が止んでから、シフがフィリンジャールを見て言った。
「クモを追い払ったら、みんな帰ってきますか?」
ぐいと身体が後ろから引っ張られた。「待て。今の俺たちじゃ勝ち目がない」「勝てるように強くなる。そのためにリフテンまで来たんだろ?」真っ直ぐな目でシフはタニシに言う。
フィリンジャールもシフを訝しむ。「よそ者がどうして俺たちに構う?まさか鉱山を乗っ取る気か?」
「そんなつもりはありません」
シフはケープの下からアミュレットを見せた。
「私はマーラの信徒ですから」
チュイン。
アミュレットが何かに弾かれ、大きく跳ねた。同時に、ドンッ、と小屋の壁が激しく応え、耳に反響する。
シフとタニシは即座に伏せた。矢の放たれた方角、手すりを支える柱越しに、粗末な鎧をまとった者たちが駆けてくるのが見えた。
山賊の集団だ。
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