スピードラン

会場に現れたプレイヤー『 F な (えふな) 』は,スタッフの指示に従って席に腰掛けた。F なはこれまで人前に姿を見せない謎のプレイヤーだった。それがチャリティー大会ということで特別に参加したのだが,その容姿には誰もが度肝を抜かれた。ゲーマーといえば,日に当たらない不健康そうな肌に,ひょろひょろに痩せた身体というのがお約束だ。だが F なは全てその逆だったのだ。シャツが張りさけんばかりの体躯に,SNS が盛り上がりを見せる。

F なの隣に座っていた相手プレイヤー『ヤマチュ』は,自分がまるでいないかのように扱われているのが許せなかった。まだゲームは始まってもいない。しかもヤマチュはこのゲームで世界記録を持っているのだ。いくら F なが伝説的なプレイヤーだからといって…

わっ。会場がひときわ大きな歓声でわいた。

何だ? ヤマチュが横を見てぎょっとする。

アケコン。

アケコンだ。

マジ?

スタッフが F なの前に置いたコントローラー。それはキーボードでも,両手で持つ一般的なゲームパッドでもない。それは,格闘ゲームで使われるようなアーケードコントローラーだった。テーブルの上に置かれたそれを F なが動かすと,スティックを支えるバネの音が内部で反響しコトコトと鳴った。

ヤマチュは気が気でない。これから行うのは対戦ゲームか?違う。シューティングゲームか?それも違う。これから行うのは,アクション RPG だ。そのクリアタイムを競う戦いなのだ。

『スティックがセイミツ製だから壁抜けがしやすい』なんてデタラメを SNS でつぶやく者もいる。ヤマチュは怒りで震えた。もはや誰も自分を見ていないからだ。F ながどんなテクニックでクリアするのか,そこにしか人々の興味がない。

ヤマチュは燃えた。現世界記録保持者として,F なをぶっちぎってやると。手の汗を拭き,コントローラーを持った。


両者のモニタにタイトル画面が表示される。

ルールは,スタートボタンを押してから,最後のボスを倒し画面が暗転するまでにかかった時間。戦いは,会場の時計を合図に始まる。

場が静まりかえる。3。2。1。

ヤマチュが絶好のスタートを切った。瞬時にキャラクターエディットに入り,オープニングイベントへと進む。

「あ」

ヤマチュの隣から慌てる声がした。F なが何かに気づいたように声を発したのだ。けれどもヤマチュは隣の画面を見ることもなくキャラクターを走らせる。自分はフライングはしていない。競技はとっくに始まっている。

「いえ,大丈夫です」

駆けつけてくるスタッフを F なが制す。ボタンの反応が鈍く,スタートに遅れたようだ。SNS で誰ともなく解説がなされる。『ボタンが 0.3mm 浅くなったから感覚がずれたのかもしれない』と。ふだん使っているコントローラーと会場で用意されたものに感覚のズレがあったようだ。メーカーが同じでも型が違えば勝手も変わる。ゆえに,いつもの調子で押したら反応しなかった,そんな理由らしい。

F なはスタートに 3 秒遅れた。長くとも 45 分で終わるこの競技,そのなかで 3 秒というのは膨大なロスだった。F なが最初のボスを倒す頃,ヤマチュは既に次のステージに旅立っていた。

ヤマチュを追う F なのプレイに観客は見入っている。自分のプレイに観客は応えない。それでも努めて普段の操作を心がけた。


10 分を超えるタイムアタックで完璧なプレイをすることは不可能だ。そこで多くのプレイヤーは序盤のミスを減らし,タイムの短縮を図ろうとする。そうしていい具合に血中アドレナリン濃度が高まれば,身体に染みついた動きのままに後半も突き進んでいける。

その意味ではヤマチュの調子は良くなかった。ハマれば世界記録,そうでなければリセット。それはタイムアタックをする者の常識だ。けれども今日は,一回かぎりの勝負でどちらが速いかを決めるイベントだった。ミスをしたからといってリセットするわけにはいかない。世界中で数千の視聴者が勝負の行く末を見守っている。細かいミスを気にしないようにしつつも,理想とは程遠い動きに,ヤマチュは不満をつのらせていった。


それはヤマチュが 4 体目のボスに差しかかったときだった。大きな拍手が起こった。F ながヤマチュと同じボス部屋に入ったのだ。最初のロスがなくなった。いや,まだヤマチュの方が速い。ボスはすでに体力が半分近く削られている。並んだとはいえない。だが F なは確実にヤマチュを追いつめつつあった。この調子なら,このゲームのクライマックスである 6 体目のボスで並ぶのではないか。そんな期待があった。

ボスを倒して次のエリアに進むとき,一瞬,画面が暗転する。そのわずかな読み込み時間で,ヤマチュは F なの画面を見た。そこには,倒されたボスが霧と消え,猛然と走る F なのキャラクターが映っていた。

会場が熱気を帯びる。ヤマチュはコントローラーの汗を服でぬぐった。背中の歓声が自分に向けられていないことはわかっている。ひとつミスをすれば,F なに首をかききられるだろう。現世界記録保持者のプライドだけが緻密なプレイをつなぎとめていた。そしてそれは大会をこれまでになく盛り上げていた。

ヤマチュは耐えた。6 体目のボスを過ぎ,終盤になっても,わずかに F なの前を進んでいた。公式の SNS アカウントが告げる。二人のプレイによって,寄付金がとんでもない額になっていると。事実,ライブムービーには,5 ドル,30 ドル,10 ドルと,次々に投げ銭を示す数字が流れる。白熱した戦い。視聴者がますます増える。まさにお祭り状態だった。


ヤマチュがムービーを飛ばし,最終ステージに入った。

「ワッ」

と大きな歓声があがった。それが止まずに続いている。ヤマチュは直感した。F なが 3 秒のロスをはねかえし,ついに並んだのだ。緊張のあまり歯がかちかちと鳴り,手足が冷たくなってゆく。

クリアまであと 1 分もないだろう。その間にミスした方,もしくは最終ボスに厄介な行動をとられた方が負ける。

そして画面は同時に暗転した。

絶叫に近い声。拍手の嵐。ライブカメラがすかさず互いのクリアタイムを拡大する。


F な。44 分 42 秒 68。


ヤマチュ。

44 分 42 秒,


66。


勝った。ヤマチュが全身から汗をふきだしながら,背もたれによりかかる。心臓が思い出したかのように全身に血液を送り出している。勝利の喜びより,ヤマチュは安堵の気持ちの方が大きかった。

拍手は止まない。二人のキャラクター画面が表示される。ゲーム内でのクリアタイムは F なが上だった。ゲーム外で遅れた分を,プレイで補ったのだ。

ゲームのクリア自体は F なが速い。それをもって F なの方が早くクリアしたのだと文句を言う者もいるだろう。だがそのことにはさほど意味はない。100m 走でスタートに遅れた者が,そのことを言い訳にしないのと同様に。それに,いま,世界で一番速い記録を持つのはヤマチュであり,その実力がここでも遺憾なく発揮されたのだ。プレッシャーをはねのけた見事な勝利に,ヤマチュを賞賛する声は絶えなかった。



「もしもし」

大会が終わった夜,ホテルに向かうタクシーのなかで,F なが誰かに電話をかけていた。

『はい』高くかすれた声が F なの耳に屆く。

「あ,今大丈夫?」F なが言う。

『うん。どうだった?』「あれ?録画見てない?」『怖いから見てない』「ああ,そう。今どこ?ホテル?」『うん』「ご飯は?」『まだ』「じゃあ帰ってから一緒に行こう」『うん』

「…」『…』

二人の間にわずかな静寂が流れ,それが本題を切り出すよう声の主を促した。

『ね,ねえ』「なに?」『えっと…ばれた?』「全然。スタッフの人がうまくやってくれたし」

F なが即答すると,ザーッという音が聞こえた。相手が安心して息を吐いたのだろう。『あー,よかった』

「ふっ」まるで耳にふきかけられたように感じ,F なは思わず笑ってしまう。「そんなの気にするくらいならさ,初めから出ろよ。スタートが合わなくてこっちも焦ったし」『げ…』「いや,ばれなかったからいいんだけどさ。でも俺が認められても意味ないだろ?」『嫌だよ』「このままじゃ俺が F なになっちゃうぞ?サインも書かされたしさ」『うん…ごめんね』「まあ…,それはいいんだけど,さ。…また出てくれって言われたらどうする?」

『今回だけ特別だから。もうやらない。怖いし』

怖い,という言葉に込もった気持ちを F なはすぐにくみ取る。

「…そうか」

窓の外を見た。ホテルはもう間もなくだ。

「それじゃもう少しで着くから」『うん』「それじゃ…あ」

F なが思い出したように言った。

「そっちのアカウントにプレイ記録が残ってると思うから,消しといて」

『もう消した』

「お,仕事がはやい。じゃあ,あとでな」『はーい』

ブツッ。



– 了 –


この物語はフィクションであり,実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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