最後のモーサル

人類による汚染は進み,保護された希少生物モーサルの数も残りわずかとなった。なるべく生息地に近い環境を与えられたが,集団で生活するモーサルにとって好ましい状況ではなく,日に日に弱っていった。

モーサルは人類の近縁種であることは判明しているものの,いくつかの違いがある。モーサルは主に後ろ足で移動し,眼球の上に頭部がある。不安定な位置に脳があるために,知能の発達に限界があるのだ。また肉体を構成する主成分はタンパク質とカルシウムで,体表面には部位によって密度の異なる毛が生えている。

モーサルは生物のなかでは高度な知能を持つ。一桁の乗算を暗算でき,鏡の認知や,誤信念課題を達成することができる。だが一度に保持できる情報量は極めて少なく,その情報も変質しやすい。

集団生活を基本とするが,十分な統制はとれていないことが多い。そのため集団が長期的な視野にたって行動することができず,保護をしなくても絶滅していたのではないかという意見もある。

それでもモーサルを保護しようという動きが出たのは,モーサルが人類よりもはるかに発達した発声システムを持っていたためである。これは身体中央の肺から送り出した空気を頸部の膜で震わせて出力する仕組みなのだが,頸部の膜および咽頭部の筋肉を微妙なバランスでコントロールすることにより実に様々な音声を生み出すことができる。

最近の研究では,モーサルが情報伝達の手段としてこの発声を日常的に使用していたことがわかっている。しかし当初は,障害物で軽減しやすく,消費エネルギーの多い発声という仕組みをモーサルが使用しているとは考えられていなかった。コミュニケーションの際にいかなる電波も検出されず,どのように意思疎通を図っているかが大きな謎とされていたのである。

その後の映像解析によって,モーサル同士が情報伝達を送っていると予想される場面で何らかの振動が検出された。詳しく調査すると,その振動がモーサルが放った音波によるものであることが判明したのである。重力メカニズムの解明以来,音波の研究技術は時とともに失われた。モーサル研究のために再びその技術が求められるようになったのである。

音声を計測する装置が完成する頃には,モーサルは残り 1 頭となり,発声を記録することはほとんどできなかった。人類はなんとかしてモーサルの意思疎通の仕組みを解明しようと試みたが,音声のサンプル数が少なく,わかったのは音声に特定のパターンがあること程度であった。現在は残された映像を解析して音声の復元を試みようとする動きがある。

最後のモーサルはあまり活動せず,毛布の中で過ごしていることが多かった。やがて食事もほとんど取れなくなった。排泄物は垂れ流しになり,定期的に洗浄しなければならなかった。抵抗もせず洗浄される様子から,その日が迫っていることは明らかであった。

それから 2 日後の朝,モーサルは水を一口だけ飲み,その夜に死んだ。



– 了 –



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