のんちゃん
のんちゃんは人と会話をするのが苦手で,一人で遊ぶのが好きだった。けれども学校生活を送るには人の話を聞かなければならないし,誰かと遊ばなければならないこともある。のんちゃんとしてはかなり無理をして友達とおしゃべりをすると,それだけでへとへとになるのであった。
一人で遊んでいる間も,どこからか話しかけてくる声が聞こえたり,自分の邪魔をするような会話が聞こえることがあったりした。それがうっとうしく,布団にもぐり込んでしまうことも多かった。けれどものんちゃんはいつも,暴れたら負けだ,という気持ちがあった。暴れそうになるたびに,ぐっとこらえ,身体からわきあがる熱を抑えていた。
のんちゃんにとって難しいことを多くの友達が何なくこなしていく。やがてのんちゃんは,他の人は文句を言いながらも道を歩んでいくけれど,自分はどうやってもまっすぐ道を歩くことはできないなぁ,という漠然とした気持ちを持つようになっていた。
ある日のんちゃんが一人で帰りの道を歩いていると,建物の隙間に見慣れぬ看板を見つけた。
ほんもの →
と書いてある。普段は周りに興味を持つことはあまりないけれども,これは気になって,のんちゃんは路地に入っていった。
路地から下る階段があり,そこを降りてゆくと,周りの風景,というよりも色彩,が大きく変わっていくことに気づいた。赤,青,黄といった原色の模様が壁一面に描かれている。それだけでなく,金属を擦るような妙な音ばかりが聞こえてくるようになった。
さらによく見ると,壁の模様はすべて文字であることがわかった。黄色や赤の文字がびっしり書かれていて,あたかも模様のようになっているのである。ほんものとはこういうことか,とのんちゃんは思った。
路地を抜けてやや広い道に出ると,建物,道路から電灯に至るまで原色で塗りつくされている。それらもおそらくは全て文字で書かれているのだろう。金属を擦るような音はますます大きくなる。のんちゃんは乳房を輪切りにした断面を見せられたような嫌悪感があった。
人の気配があった。見ると白衣のような衣装を着た背の高い人物が立っている。その人はニコニコしながら「こんにちは」とあいさつをした。目を細めて笑ってはいるけれども,その瞳がどこまでも真っ暗であることに気づいた瞬間,のんちゃんは後ろを振り返り全力で階段をかけあがっていった。
息があがって喉が痛く,何度も階段に足をぶつけたせいで青く腫れあがっていたが,かまわず駆けた。元の路地が見えると,一気に抜け,家まで走って帰った。
傷だらけののんちゃんを見て母親はびっくりした。だがのんちゃんは何も言わず部屋に隠れた。母親が心配してドアをノックするのを無視して,布団の中でひたすら震えていた。そして翌日からしばらくはその路地のある道を通らずに登下校することにした。
あの日以来,のんちゃんは,自分はほんものではないなと思うようになった。けれどもふつうでもないとも感じていた。どちらでもない宙ぶらりんの自分が揺れつづける様子を想像しながら,のんちゃんは今日も学校へ行く。
– 了 –
この物語はフィクションであり,実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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