余計な一言

『ラジェネス先生

あなたの知人で首を吊った人のことを覚えていますか。

彼がそうなる数日前,あなたはふつうに打ち合わせの通話をしたと言いましたね。

変わったところはなかったと。

今の私には彼の気持ちがわかります。

あなたは崖際に立っていた私の背中を押してくれたのです。

今までありがとうございました。』


そんな手紙がラジェネスの前につきつけられた。向かいあう制服の男たちは暗くドロドロとした気持ちを押し殺しながら言う。

「心当たりはありませんか」

「ありません」ラジェネスは即答した。

ラジェネスの正面に座っていた男が,ふーっとタバコの煙を吐いて言う。「気づいたこと,思いだしたこと,何でもかまいません。このまま黙秘を続けるなら,あなたの所持品や通信内容を調査することになります。余罪が出てくる前に,正直に言ったほうが身のためだと思いますが」

ラジェネスはムッとした顔で答えた。「何もないと言っているでしょう。前に亡くなった███さんのことだって,今回のことだって,心あたりは何もないんです。本当です」

それを聞くと,男は隣の人物に目くばせをした。ラジェネスの前に一枚の紙が差し出される。

「これは彼女があなたから受信した,最後のメールです」

ラジェネスは老眼鏡を取り出し,首をかたむけてそれをながめた。

『将来あなたの子や孫に顔向けできるのか?



偶発的なことだとはわかっています。

ですが,それを言い訳にして人を欺くのは,人間として許されない行為です』

「偶発的なコト,ア・ザ・ム・ク。どういうことですか?」男が粘つくような口調で言う。

「彼女は体調を崩した。それが偶発的なことだ。そしてそれを言い訳にして仕事を怠け,私たちは迷惑を被った! それが欺いたことだ!」

ラジェネスは拳を机に叩きつけた。風で紙がすらっと角度を変える。

「それで彼女を追いつめたわけですか。命を絶つまで」男は口元に薄笑いを浮かべ,血走った目でラジェネスを見た。

「タバコをふかしていれば給料がもらえるあなた方にはわからないでしょうね」わなわなと震える拳でラジェネスは言った。

「いいでしょう」男は手を組んで言った。「残念ですが,もう二度と太陽を拝めなくなるとご覚悟を」

「ふん」それを聞いたラジェネスは鼻で笑い,上等だとでもいうように答えた。

「太陽なんてもう何年も見ていませんよ。ずっと研究所にこもりきりなんですから」


ラジェネスがその日の打ち合わせを終えると,白衣を腕に持った研究員がやってきて言った。

「災難でしたね,先生」

「いつものことだからね。気にしてないよ。それより,頼んでいたデータはどうなったかな?」

あれほど息巻いていた男たちは,ついにラジェネスを有罪に持ち込むことはできなかった。半年にわたる拘留も当人は休暇程度にしか考えておらず,すぐに復帰してこの日も研究にいそしんでいたのだ。

「すみませんが,まだ出ていません」「おい,半年も何してたんだ?」「すみません。なにぶん人数が多いもので」「謝らなくていい。それよりいつまでに終わるんだ」

研究所は,これまでの騒ぎが嘘のように平常運転に戻っている。ラジェネスはいくつか指示をすると,研究員はぺこぺこと頭を下げた。

「ところで先生」

「何だ?」話が変わり,きょとんとした顔でラジェネスが尋ねる。

「彼女が亡くなったと聞いたときの先生,邪魔な事務の人を追い払ったときと同じ顔をしていましたよ」



– 了 –


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