ニニギの後
阿礼 (あれ) が屋敷で筆をはしらせていると、隣に座って阿礼の物語を読んでいた天照 (あまてらす) が浮かない表情で言った。
『なんかさぁ、地味じゃない?』
ぐっ…、と阿礼が口を結ぶと、筆をおいて天照の方を向く。「地味って、何がです」
『もっと面白くならないの?これ』
「これってどれですか」ぶすっとした顔で阿礼が言う。天照が続ける。『パパとママの喧嘩とか笑えるくらい面白いのに、なんかニニちゃん (天照の孫) が落っこちるあたりからすっごくつまんないんですけど』
「そうですかね」せっかく書いたものに文句を言われ続けるのも嫌なので、阿礼は眉をぴくりとだけ動かし、天照の話に興味がなさそうに答えた。そしてそのまま文机に身体を戻そうとする。
『飽きたの?』
天照が核心をつく一言をつぶやいた。「何にです」『話書くの』「飽きてません」『じゃあなんでこんなつまんないの?』「どこがつまらないんですか。言ってくださいよ」『それじゃさ、一番新しく書いたこれ、つまんないから全部読めなかったんだけど、どんな話か説明してよ』
そう言って天照は阿礼が木簡に書いた文章を見せた。文字に目を近づけた阿礼は、むっとした顔のまま答える。
「…兄の釣り針を失くした弟が、それを探しに行く話です」
『ほら!』天照がパッと表情を変え、ひときわ大きな声を出す。『あはは何それ!つまんなすぎでしょ、日記かっての!』
「最後まで読んでくださいよ、面白いですから」『ほんと?パパとママの喧嘩より面白い?』「…」『私が引きこもって高天原がめちゃくちゃになった話よりも?』「…。お…」
何か言い返そうとしたものの、言葉につまる阿礼。天照は、ふん、と鼻を鳴らし、つまんだ木簡を揺らしながらいやらしい視線を投げかけて言った。
『なんかもっとさあ、災害みたいな怪物の話が読みたいんだけど。あ、あのクソ野郎がぶちのめした蛇の話はもういいから』
「そんな怪物はもう出ません」膝の上で両の拳をにぎり、阿礼が言った。『なんで?』「私が書いている話は、これから人の治める世へとうつっていきます。この国がもう怪物のいない穏やかな地だと描かなければ、人々の帝への信が揺らいでしまいます」
『難しいこと言われてもわかんないんだけどさ』天照が木簡を置いて言う。『読まれなきゃ意味ないじゃん?やっぱ面白くなきゃだめだよ』
「…」うつむく阿礼。まるで頬を膨らませるかのように不満な表情を浮かべている。天照はため息をついた。『そういえばさ、他の国で怪物が出てこないならどんな昔話になってるの?あんた前にいろいろ話してたよね?』
「他の国ですか」『そそ。五百年前に大きな川で百万人が焼け死んで国が三つに分かれたとかさ、私ああいうのが読みたいんだけど』「それは昔話じゃないですよ」『昔話じゃなくてもいいからさ、面白い話のマネしようよ。パパとママの喧嘩書いたときもそうだったでしょ?ね?』
うーん、と考え込む阿礼。すると少し気分が上向きになったのか、「そうですね。わかりました」と答え、机の隣に積まれた資料に身体を向けた。そのとき、肌着越しに、ふくよかな腰回りが浮かび上がった。
『あんた、意外といいカラダしてんじゃん』
「え!?」ゾッとした阿礼は、あわてて居住まいを正す。天照が身体を寄せてささやいた。『ねえ、私と赤ちゃん作ろうよ』
「は、はい!?」突然のことに阿礼の全身がこわばる。『あんたのお腹なら四人くらい入りそうだね』そう言ってさすろうとする天照の腕。阿礼が震える手でつかむが、構わず天照は阿礼の身体にのしかかってくる。
「私のお腹って、私が産むんですか」『あたりまえじゃん。私が産んだらその子はどこにも住めなくなるよ』「それは困ります」『でしょ?ね、あんたと私ならどう転んでもかわいい子が産まれるからさ』「あ…」
「殿下!お車の用意ができました!」
外からの呼びかけに、ぴたり、と二人が固まる。
「そうだった」
天照を脇に寄せるようにして、汗ばんだ上体を起こす阿礼。
『なに?』「律令の打ち合わせです」『律令?』
はだけた衣服を整えながら阿礼は言う。「この国の人が守る規則みたいなものです」『規則?なんで?』「何でって、何ですか?」
『何でそんなのがいるの?』狐につままれたような表情をみせる天照に、阿礼は言った。「規則を作らないと人はあなたの弟君みたいになるからですよ」
『は?何それ。そんなやつら全員土に返せばいいじゃん』
眉をひそめ平然と言い放つ天照。阿礼はあわてた。「ちょっと、だめですそれは。そんなことしたら人がいなくなっちゃいますよ」『いいじゃんそれで』「だめですって。それに、約束を守って働けば、この国に来た弟君のように、人も立派になって国も豊かになるんですよ」
『そうなの?』怪訝な表情の天照に阿礼は続ける。「はい。この国の人にとって、私の書いている話が骨に、律令が肉になります。どちらが欠けてもいけません」
『それで規則作りが忙しいから話がつまらなくなったんだ』
天照がニヤリとした。その細くなった目は、言い繕おうとする阿礼のすべてを見抜くようだ。『口だけは達者になって。でもまあ、ようやくあんたたちも独り立ちできるようになって、かあちゃんは嬉しいよ』そうしてわざとらしく泣くそぶりをみせる。「からかわないでくださいよ…」顔を赤くする阿礼。
と、満足したのか、天照はその場で大きく伸びをした。『あー、お腹空いたから帰る』
それを聞き「お送りします」、と立ち上がろうとする阿礼。それを天照は手で制して言った。『あんたは自分の仕事に行って』
まるで母親に注意された子のように、「はい」と小さく答える阿礼。ふふん、と天照は得意げな顔で立つと、『あ』と思い出したように言った。『ご飯は三膳!』「一日二回」『忘れたらこの国をこちょこちょしちゃうぞ』
ははー、とおおげさに伏せる阿礼。次に顔を上げると、もう天照の姿はなかった。
阿礼は小間使いを呼んで着替えると、外に出た。待ちぼうけをくらっていた御者はぼんやりと遠くを見ていたが、阿礼の姿を認めあわてて姿勢を正す。
「殿下と呼ぶのは間違いだよ」と阿礼が言う。「はあ、では、ふひと様と呼びましょうか」「もっと失礼だ」
阿礼は笑いながら御者の頭をこづき、車に乗り込んだ。
そんなわけで、その後生まれた律令は形を変えながら千年以上使われ、神への食事は今なお欠かさず供されている。
-- 了 --
この物語はフィクションであり,実在の人物・団体とは一切関係ありません。
(c) 2019 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).
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