傷ついた竜
炎の山と呼ばれる秘境から,赤き竜が襲来するようになり,近隣の村は著しく衰退した。弓の英雄レーヴァンの命を賭した戦いによって竜は傷つき,炎の山へ隠れたものの,人々は恐れ,総力をあげて竜を討伐しようということになった。
村々の長が集まり話をしているところへ,若きアスタルは現れ声をあげた。
「かの英雄レーヴァンでさえ,竜に傷を負わせることしかできなかったのです。私たち全員で挑んで勝てるかどうかさえわかりません。仮に勝てたとして,どれだけの被害が出るか想像するだけでも恐ろしいことです」
するとある村の長が当然の反応を返した。「竜は傷つき弱っている。今倒さなければ,やがて傷を癒やした竜が再び襲ってくるだろう。そうなればレーヴァンは無駄死にではないか」
そうだそうだ,と多くの大人が長に賛同した。だがアスタルが答える。
「では私が,竜にこれ以上村を襲わないよう交渉をしてきましょう。炎の山は今でこそ竜の住処,秘境と呼ばれてはおりますが,私が生まれ育った場所。私の庭のようなものです」
長たちはびっくりして顔を見合わせた。だがすかさず言う。「いくら傷ついているとはいえ,竜は凶暴だ。おまえが向かったところで,話すらできず食い殺されてしまうのではないか」
アスタルは答えた。「では十日待ってください。十日経って私が帰ってこなければ,そのときは皆さんの思うようになさってください」
アスタルの精悍な顔つきを見て長たちはそれまでの態度を変え,若き青年の提案に従うことにした。アスタルは村の人々から無事を祈るお守りを渡され,別れを告げると竜の住まう炎の山へと向かった。
竜の出現によって山の様子は一変し,険しい道が続いた。しかしアスタルは気力を振り絞って川を渡り,崖を登り,三昼夜をかけて竜の住処へとたどり着いた。
住処となる洞窟へ入ったアスタルの前に,赤く燃えさかるウロコを持った竜が姿を現した。その羽は破れ,足に受けた毒が下半身を紫に変えている。気の立った竜はアスタルを見るなり鼻息で焼き殺そうとした。
「待て。私は戦いに来たのではない。話を聞いてはくれないか」
その澄んだ声と,武器を持たずに両手を上げる人間の様子に竜は納得し,話を聞くことにした。尻尾を軽く振りながら身体を休める姿を見たアスタルは,自身の思うところを述べ,竜にこれ以上村を襲わないよう求めた。
竜は口を開くと,その鋭い牙で語りだした。『お前に言うところもわからないではないが,私は破壊がしたくてしょうがない。それに第一,思うがままに我が住処を荒らしたのはもともとおまえ達人間ではないか』
それを聞いたアスタルは今までの人間の非礼を詫び,今後は炎の山に手を出さないことを誓った。そしてその誓いが破られれば,今度こそ村々を焼き払っても構わないと言った。続けて,
「このまま争いを続けていたら,どちらかが滅びるまで戦うことになってしまう。そんな悲しいことになってはならぬ。破壊の心をここは抑えて,共に生きてゆくことはできないか」
真摯な眼差しだった。その瞳に,竜は英雄レーヴァンの闘志漲る勇姿を重ねた。敵ながら憎めないレーヴァンとの戦いは,竜にとっても忘れられない出来事であった。
竜はアスタルの提案に従い,炎の山を竜の住処とし,人々が手を出さないよう約束すれば,今後村を襲わないと告げた。さらに竜はアスタルの豪気に感服して言った。
『おまえの瞳からは並の人間とは違うものを感じる。今後,我が必要になったときは言うがよい。力を貸してやろう』
アスタルは丁重に礼を述べ,竜と和睦を結んだという大きな収穫を持って山を下りた。だがその途中,崖で足を踏み外し命を落とした。
– 了 –
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