いやがらせ

診察室のドアをネチョネチョと叩く音があった。

「どうぞ」

そう医師が伝え,看護師がドアを開けると,ぼとりと何かが倒れこんだ。それはそのままウゾウゾと前進しながら椅子に乗ると,上半身をくたっと机にあずけた。

毛むくじゃらの透明な身体。その中を気泡のようなものが動いている。ゾウリムシだ。

「どうしましたか」

「仲間が私をからかうのです。やい,単細胞生物だと」

「ふむ。他にゾウリムシのお仲間はいらっしゃらないんですか。もしくは,同じ単一細胞の方とか」

「はぁ。いるかもしれませんが,皆さん黙っているのではないでしょうか。なんせ,光は感じても,目も口もありませんから」

「でも,今お話しできているじゃありませんか」

「ふだんは隠していますし,それに先生だからお話しできるんですよ。もし私が見ず知らずの方に単細胞生物と知られたら,どれほどからかわれるか。先生,これってセルハラですよね」

「セルハラ」

「セル・ハラスメントです。ほら,細胞のことセルっていうじゃないですか」

「わかりました。酵母を出しておきますから,欠かさず飲んでください。それでも治らなければ,また次週お会いしましょう。あ,単性生殖ならお子さんでも構いませんよ」



診察室のドアをドンドンと叩く音があった。

「どうぞ」

そう医師が伝え,看護師がドアを開けると,ドッ,という音とともに棒のようなものが倒れこんだ。それは身動きせず,看護師の手によって運ばれ,台座を外した椅子の穴に突き立てられる。

緑の茎にいくつもの節。竹だ。

「どうしましたか」

「仲間が私をからかうのです。やい,血も涙もないカタブツだと」

「ふむ。カタブツとはどういう意味でしょうか」

「見てわからないんですか。細胞壁ですよ。」

「ああ,失礼しました。他にお仲間はいらっしゃらないんですか。あなたの性質を理解してくれるような」

「そんなの,同じ地下茎から伸びているんですから,周りには私のきょうだいしかいませんよ」

「では問題ないのでは」

「私たち皆が同じ苦しみを抱えているんです。デカブツだ,とんだ大飯食らいだ,そんな心ない言葉をかけてくるものだっているんですよ。ま,そいつらにだって血も涙も,心だってありゃしませんがね。先生,もうこれって,セルハラですよね」

「セルハラ」

「セル・ハラスメントです。ほら,細胞のことセルっていうじゃないですか」

「細胞壁のことをからかわれているなら,カベハラとか,別の言い方がいいのでは」

「カベハラなんてかっこ悪いですよ。先生まで私をいじめるんですか」

「わかりました。雨を降らせておきますから,欠かさず飲んでください。それでもきょうだいで埋めつくせないようでしたら,また次週お会いしましょう」



診察室のドアをコンコンと叩く音があった。

「どうぞ」

そう医師が伝え,看護師がドアを開けると,それはコツコツと靴音をたてて,椅子に腰かけた。

なんの変哲もないふつうの人間に見える。

「どうしましたか」

「仲間が私をからかうんです。私だけ世界線が違うと」

「世界線,とは」

「先生はパラレルワールドをご存知ですか」

「はい。選択によって世界が分岐すると」

「私は理想の世界にするために,何度もこの世界をやり直しているんです。先生にお会いしたのももう 17837 回目なんですよ。あれ,17838 回目かも」

「そうですか。それで,どのような問題がおありなんですか」

「私だけいつものろまなので,仲間よりも世界をリセットするのが遅いんです。仲間のなかには 10 万回超えたっていう人もいるんですけど。でもそれってしょうがないじゃないですか。もうこれって,パラハラですよね」

「パラハラ」

「パラレル・ハラスメントです。あ,今答えるのが遅れちゃった。あーあ。また電車に飛びこまなきゃ。いやだなぁ。何回死んでも痛いのは慣れなくて」

そう言って苦笑いしながら,医師の胸にナイフを突き立てた。

血がふきだし,口をパクパクさせながら医師は力なく倒れこんだ。

「それじゃあ先生,また次週お会いしましょ」



– 了 –



この物語はフィクションであり,実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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