006
宿で夕食をとったエッジたちは,まぶたの重くなったパオラを先に眠らせ,テューマ,ポッドらと帝国の状況について話しあっていた。つい先刻とは一変した重苦しい空気が支配している。ポッドも噂には聞いていたが,それほど帝国と離宮が険悪な状況になっているとは思わなかったようだ。
「それじゃあ,お前は戦いが始まったら,帝国につくのか」帝都での主人とのやりとりを聞いたテューマが,いつになく険しい顔でエッジに問う。エッジが帝国の一員だからだ。テューマがいる灰の王国は帝国とは中立を保っているものの,帝国の東にある二つの国,大地の巣・火の国と結んでいる。そしてこの二つの国は,いま帝国と一触即発の状態にある離宮とも同盟を結んでいるのだ。この国々で戦が始まれば,灰の王国も戦火を免れない。
視線をおよがせたまま返事をしないエッジに,ポッドが代わりに自分の意思を伝えた。「戦いがはじまったら,僕は火の国について,帝国と戦うことになります。テューマさんも,おそらく」ポッドが向けた視線をテューマは見ないようにし,頭をかいた。
ポッドは,火の国の主,楔龍エストマッハ=フレンツォーンに叙勲された。帝国が与えられる最高の栄誉が騎士なのに対し,それよりも格が高い聖騎士を叙することができるのは,秩序を司る龍のみである。
「あたしは身分に興味はないから,ポッドと一緒に戦うよ」ポッドの決断を助けるように,剣王エーコが口を開いた。簡単に言ったが,エーコは帝国の騎士である。それを捨てても従うだけの魅力がポッドにあるのだろう。もとから帝国との縁のないザイモンとヌウは,無論といった顔でうなずく。ポッドは三人の様子に目を潤ませた。
あとはエッジだけだ。同席するファランは我関せずといった様子で黙っている。エッジはまだ迷っていた。「私は,戦う戦わない以前に,なぜ帝国は挟撃されるのを覚悟で離宮を攻めるのかがわからないんです」
「そりゃあ,挟みうちになる前に離宮を落とせると確信しているんだろうな」テューマが両足を投げ出して答える。「じゃあ,落とせなければ,退きますか」「誰が」「帝国です」「わからん」
大地の巣と火の国の動向,そして灰の王国の態度はここにいる者たちの話からつかめる。けれども離宮と帝国の情勢がわからない。感情に任せず,もっと主人に話を聞いておくべきだったか。いや,あのとき断ち切っていなければ,今ごろ帝国の一員として戦うことになっていたもしれない。
エッジは帝国の配達人だ。ただ,自分が会った兵士たちの態度が気にかかった。その刃を敵兵ではなく,無抵抗な自分たちに向け,執拗に監視し,尾行してきた,あの出来事が頭から離れなかったのだ。
「私は,あの美しい離宮が粉々になるのは嫌です」エッジはようやく意見を示した。煮えきらない態度に,空気がますます張りつめてゆく。「そりゃあ,そうだろうな」たまらずテューマが酒をあおる。
だがふと,飲みほしたとたん,テューマはエッジの言葉の端から何かの意志をつかみとった。「まさか,離宮側につくってのか」椀をたたきつけるようにして,テューマが興味深そうに身をのりだす。「俺の見立てだと,一週間で落ちるぞ」
そう。周辺から伝わってくる情報を判断するだけでも,離宮はとても帝国に立ち向かうだけの武力も準備もできていない。まともな戦いにならないだろう。もしくは,帝国はそれだけ素早く離宮を屈服させることで,周辺の国々が立ち上がる隙を与えないつもりなのかもしれない。
それでいいのか。その後,離宮の人々がどのようなめにあうのか。そもそも,なぜ,それだけの差がありながら,離宮は帝国と戦うつもりでいるのか。
先の見えない暗闇の沼。出口を探して進みつづけている。すると,ふいにひとつの思い出がよみがえった。
『親切な配達人さんに,水神の祝福を』
その途端,一陣の風が暗闇をふきとばしたように思えた。水を吸いこんだ根がみるみる伸びていくように,光の道が広がっていくように感じた。
エッジは急に立ちあがって言う。「私はここに皆さんとお別れをするために来ました」場の空気が静まりかえる。その決断,場合によっては敵として相見えることになる者の言葉を,皆が待っている。
「私は陛下の一兵として,離宮を守ります」
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