042
船が激しく揺れ,しばらくして轟音が響く。沖に停泊していた船の乗組員たちは敵襲ととらえ,戦闘配置の鐘を待つまでもなく甲板に集まる。そのなかにはあれほど見つかるのを拒んでいたイヴンの姿もあった。一斉に周辺の様子を確認する。だが目の前に広がっていた光景は,想像とは真逆のものだった。
「霧が…晴れていくぞ!」一人が叫び,驚きの声がそこかしこからあがる。
港を覆っていた忌まわしい霧,そのなかから光の柱が一本,白く天まで伸びている。その光は霧はおろか曇天さえもかき消し,空が本来の青さを取り戻してゆく。そこにいた誰もが確信した。港が取り戻されたのだ,と。
兵士たちが歓声をあげる。ただ一人,イヴンだけが,当然といったように腕を組んで立っている。
「俺の力をもってすれば,こんなの朝飯前よ」
平坦だった広場は大きくくぼみ,その姿をすっかりと変えてしまっている。闇の気配はもはや微塵もない。すりばち状に抉れた地面,その中央にエッジが座りこんでいた。ひどく傷ついた右腕をかばうようにしながら服を巻きつけている。そうして晴れた空に消えてゆく光の柱をうらめしい顔でながめながら,「やりすぎだよ…」と吐き捨てるようにつぶやいた。
影をまとう聖母はその身体から伸びる黒い糸をはりめぐらせ,エッジの命を刈り取るつもりでいた。だがエッジは相手の都合に合わせるつもりなど毛頭なかった。背中から伝わる光を右手に集め,目にもとまらぬ速さで距離をつめると,その拳を聖母の身体に叩きこんだのだ。
そのとき,雷神だけがこの世に現出できる天の柱が生じた。それは一瞬にして港を覆っていた全ての闇を吹き飛ばした。闇の気に耐えうる肉体を持ったエッジと,全てを消し去る雷神の力があわさってはじめてなしとげられた大技であった。
だがその代償も大きなものだった。光柱を放ったエッジの右腕は,その直撃に等しいダメージを受けた。それは骨まで焦がし,感覚はおろか,その機能を完全に喪失している。残った片腕でも戦えるよう身体を馴らすにはかなりの期間が必要になるだろう。
エッジはため息をひとつつき,動く方の腕で地面に落ちている剣を拾うと,腰に差して振り返った。
ふぁさっ。
鼻の先に何かが触れた。綿毛。いや,腹に綿毛をつけたクモだ。風にのってここまで来たのだろう。それを指にのせると,輝く糸がゆらめき,長く伸びているのが見える。
これは。まさか。
ふいに目頭が熱くなった。足が勝手に動き出していた。冗談だと思った。信じられない気持ちが抑えきれず,ひたすら糸のきらめきを追った。
いくつもの倉庫を曲がり,瓦礫を飛び越えながら,エッジは糸を追った。目がぼやけないよう,必死に空をながめながら。
視界にそれが入った。心配そうに立つ二つの姿。それとは対照的に,暇そうに腰かけている姿。だがいずれも,日の光から生じた影をまとい,闇の存在でないことをこちらに伝えている。
「パオラ!」
その呼びかけに振り向く小さい身体。それに抱きつくやいなや,エッジは胸いっぱいに息を吸い込んだ。飛びつかれて驚く相手のことも考えず,ただひたすら,その温かな感触が夢でないことを全身で感じた。
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