016

エッジは宮殿に続く階段に腰掛け,茜色に染まる空をながめていた。陽が沈む。やがて明日になれば,この海は帝国の船で見えなくなるだろう。すでに神官たちは祈りを始めている。寵姫とエッジが話すすべはない。

なぜあれだけの大群をここに寄越すのか。これまでに交渉は行われなかったのだろうか。いや,仮に行われたとしても,神官たちの捉えどころのない返事にしびれをきらしたのかもしれない。

それでも。エッジは振り返って大樹の洞をながめた。戦うそぶりさえ見せないこの地を,なぜこれほど憎んでいるのか。

『あんな生意気なやつらはな,いなくなっちまえばいいのよ』

帝都の主人が放った言葉が頭に浮かぶ。寵姫に尋ねる機会がなかった。もしくは,通訳を担当するアレクとデクにうまくごまかされたような,そんな気もする。相手が敵対的でないかぎり,エッジが自分の意見を強く主張することはないからだ。昔からファランに注意されてはいるものの,性分なので仕方ない。むしろそれは,自身の内にうごめく暴力への渇望を抑えこんでいるようにさえ感じる。

もし船が岸に押しよせるようなことになれば,自分の剣はそれらを断つことになるのだろうか。きっとそうなるだろう。相手がこちらの命を奪おうとするかぎり,こちらも抗わねばならない。

エッジはため息をついた。あのときの自分の判断は間違っていたのだろうか。テューマらの話が正しければ,おそらく帝国は北にある黒の連合をのぞくすべての国を敵に回して戦うことになるだろう。それに,黒の連合だって,今は従っているものの,その統治がうまくいっているとはいえない。あの豊かな穀倉地帯で飢餓が起きていることは,自分の目で見てきたのだから。

帝国が全てを食らいつくすか,もしくは帝国そのものが消えてなくなるようなことになるのか,それはわからない。どこにも付かず,配達人として知らぬふりをする手もあっただろう。ただ,その過程で,この美しい水の楽園が消滅することはなんとしてでも避けたかったのだ。

どうしてそこまでこの地に入れ込むのか。美しい景観をもった土地ならばいくらでもあろうに。

ふいにエッジの頭に,夢で会った寵姫の笑顔が浮かんだ。



ファランは神官を手伝っている。夕食はエッジとパオラの二人だけだ。すると,なぜかパオラがエッジの口に次々と食べ物を押し込んでくる。エッジが拒むのもためらわず,罰といわんばかりの勢いだ。無理矢理飲みこんで理由を聞くと,ようやくパオラが口を開いた。

「ねえ,どこ見てんの。わたしとお話ししてよ」むっとした顔で言う。「ごめんね。少し考えごとしてて」「何を?」「うん…まあ」

そんな歯切れの悪い返事が続く。するとパオラが急にエッジの耳をひっぱり,その穴に直接叫んだ。「心配事があるなら言ってよ!わたし,聞くから!」

あっけにとられるエッジ。そんな顔を見てパオラはニッと笑った。感極まったエッジは,たまらずパオラの小さな身体を抱きしめる。そしてそのまま立ち上がると,パオラの足が振り回されるのもかまわずぐるぐると回った。二人とも心の底から笑った。



窓の外には星空が広がっている。月に照らされた海は全てを受け入れるように静かに波打っていた。エッジはベッドの端に腰掛け,その膝にのせたパオラととりとめもない話をかわしている。時間が止まっているように感じられた。頭の鍵が外れた気分だった。そのせいか,エッジはつい秘めていた思いを口にしてしまった。

「明日が来なければいいのに」それが心の内ではなく声に出たものであることを,喉の感覚が伝えた。

「戻りたい?」パオラが聞いた。「どこへ」「どこでも。わたしと会う前とか」「パオラがいないなんて絶対いやだ」エッジが顔を伏せ,パオラを抱く両腕に力を込める。「わたしも,エッジがいなくなるなんて嫌だよ」

パオラは頭越しにエッジの鼓動を聞いた。激しく波打っていた。目の前の景色とは対照的だった。エッジの身体を流れるものと,目の前に広がる液体は同じ味だ。けれどもパオラを抱くそれは温かい。

「落ちつくおまじないしてあげようか?」少しの時間をおいて,うん,とエッジが頼んだ。パオラは顔をあげ,二人の空気が交わった。





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