014

一台の馬車が火の国に向かって進んでいる。その中には聖騎士ポッドたち四人の姿があった。早々に離宮にたどりついたエッジらとは異なり,これほど移動に長引いてしまったのには理由がある。陸路はあちこちが帝国兵によって封鎖されており,それ以外の険しい道には魔物が跋扈していたからだ。聖騎士たちにとって道を塞ぐ魔物などとるにたらないものの,ことあるごとに足止めをくらい,わずかな速度でしか進むことができなかった。このときも,直前まで道を塞ぐ魔物の群れを葬り,荷車のなかでひと息ついていたところだ。

剣についた汚れを拭きながらエーコが言う。「もう戦いはじまっちゃってるかな」

火の国の者たちは血の気が多い。すでに帝国との戦いを始めてしまったのではないか,それを心配していた。ヌウが安心させるために答える。「大地の精はまだ震えておらぬ。だが天文を見るに,間もなく西の沖で大きな戦が起こるじゃろう」

それを聞いたポッドの表情は晴れない。「ねえ,ポッド」「なに?」エーコの呼びかけに顔をあげる。「あの配達人さん,強かった?」

おそらく灰の王国でエッジとポッドが行った腕相撲のことをたずねているのだろう。ポッドは軽くためいきをついた。「大したことないよ。もし本当に離宮に向かったのなら,すぐに殺されると思う」そうしてエッジに思うところがあったのか,「配達なんてくだらないことしてるから,僕なんかに追い越されるんだ」と意図せず憎まれ口をたたいてしまった。

「わしにはおぬしの力をはかっているように見えたがのう」ヌウが聖騎士たる態度を戒めるように言った。だがポッドはそれを認めない。「仮にそうだとしても僕には勝てない。楔龍様だって認めてくださったんだ,僕の力がもはや神にさえ近づいていると」

いくら負けず嫌いとはいえ,ポッドの態度は感心したものではない。楔龍はポッドを驕らせるために叙勲したのではなく,人々を導くために聖騎士の位を授けたのだから。うぬぼれるな,そう言おうと思ったものの,迷ったヌウは「ふーむ」と低くうなるように息をついた。

「あいつが生きのびて帝国に従ったなら,いずれ俺達とも戦うときが来るだろう」手に軟膏のしみこんだ包帯を巻きながら,ザイモンが言った。包帯にはわずかな隙間も作ってはならない。少しでも肌がのぞけば,そこから呪印が闇の糸を伸ばそうとするからだ。術を使用したあとに,闇の力を抑えることができなければ,魔に堕ちる。それが圧倒的な力と引き換えに課された,魔人の宿命だった。

ふいに,ゴトン,と馬車が急に停まった。なんだ,とポッドが身をのりだす。

地面が割れ,そこから槍獅子の群れが這いだしてくるのが見えた。闇の棘に骨を侵された魔物。身体の至るところから槍のように黒いトゲが飛び出していることからそう呼ばれる。元はリスやネズミなどの小動物だったものが,邪悪な気によって獅子のように巨大化したのだ。だが昼間,こんな道の真ん中に現れることなどこれまでになかった。

「師匠は氷縛結界を!エーコは僕について来て!」言うが早いか,大魔術師ヌウの杖がひと振りされると,分厚い氷の壁が出現した。それは馬車から飛び出したポッドとエーコの背後にそびえ,敵の襲撃から馬車を守る。ザイモンは苦々しい顔で二人を見守った。呪印を静めるまでは,再び術を使えないからだ。

エーコが身の丈ほどもある巨剣を軽々と振り回し,魔物達がたやすく両断されてゆく。だがこの敵との相性は悪い。小さく分裂した塊が,また新たな形を為そうともがいている。ポッドが腰に下げた魔法球をエーコに投げた。それを剣の柄で受け止めると,その巨剣が青い光を帯びる。背後から迫る敵。振り向きざまに叩きつける。黒い影は一瞬にして蒸発した。楔龍の祝福が施された聖なる光。その剣が白線を描くたび,空間が引き裂かれるような音がバリバリと響き,敵の群れが次々と屠られてゆく。それを見たポッドも負けじとその細剣で的確に急所を突き,魔物を一撃で葬る。

劣勢に追い込まれた槍獅子たちはポッドたちから距離をとった。そして一ヶ所に集まったかと思うと,見上げるほどの巨大な姿へと変わった。これが親玉というやつか。ためらいなくエーコが斬りかかる。が,その剣が折り重なった棘の盾にはじかれた。それは塊となった本体の表面をすべるようにして動き回り,巨剣をいなす。

学習能力があるのか。ここで絶対に逃してはならない。そう思ったポッドが詠唱する。するとそこから光の膜が広がり,わずか一瞬で空の果てまでを覆いつくした。楔の結界で自分たちを隔離したのだ。結界の内側は,一見すればこれまでの世界と何ら変わるものではない。だがこの空間は現実とズレた位置にある。敵か自分,どちらかが息絶えないかぎり,ここから出ることはできないのだ。ポッドはエーコに視線を向け,ともに無言でうなずいた。

一つとなった黒い塊から長い腕が伸びる。トゲが飛び出す。それらをたくみにかわしながら,二人は戦いを続けた。ポッドが炎の玉を放る。黒い塊が火に包まれ悶えるものの,すぐにその炎を振り払い,再び何事もなかったかのように襲いかかってきた。

「ああもう,めんどくさ!」エーコが手応えのなさに苛立っている。その身体から煙があがりはじめた。

まずい。早くケリをつけなければ。そうポッドが焦ったときだった。馬車を覆っていた氷の結界が割れ,黒い線がいくつも飛び出した。ザイモンの放った闇の糸だ。それは敵の表面を網の目のようにはしり,その動きを完全に封じる。それに合わせるように,空が暗雲に塞がれた。

「エーコ!」ポッドがエーコに駆けよってその身体を抱えあげると,背後も見ずにその場を走り去る。地響きがあがるように空気が震えた。ふいに真っ暗な空が照らしだされる。晴れ間がのぞいた。太陽か。いや。それはぐんぐん近づいてくる。隕石だ。真っ赤に燃えさかるそれは,尾を引きながら魔物めがけ落下してきたのだ。

視界が真っ白になり,耳をつんざくような轟音が頭の隅々にまで響きわたった。



馬車は何事もないかのように道を進んでいた。ただ違うのは,ポッドだけが火傷を負っていることである。熱を帯びたエーコを抱えて逃げたときに皮膚が焦げたのだ。そんなポッドの赤くなった頬に薬をのせ,それを指でのばしながらエーコが謝っている。「ごめんね,あたし,すぐ熱くなっちゃって」しおらしくなった剣王が愛らしいのか,ポッドは思わず笑みがこぼれてしまう。

「よい気味じゃの」ヌウが意地悪そうに言った。エーコがむっとする。「いきなりあんな大魔法ぶっぱなすなんて何考えてんの?あたしたち死んでたらどうすんの」「俺達の助けがなくてもお前ら死んでたかもしれんがな」ザイモンが外をながめながら言った。追いつめられた二人を救ったのは間違いないからだ。

「みんな,ありがとう」ポッドが言った。「僕がこれからも戦っていくには,みんなの力が必要だ。だから,これからも遠慮しなくていいから」

その聖騎士らしい振る舞いに,場の雰囲気がなごむ。「今日は疲れたから,町に着いたら宴会しよう」「やった!」エーコが大喜びし,ポッドが突き飛ばされてしまう。全員の笑い声が馬車にこだました。

それにしても,とポッドは思った。魔物たちが凶暴化している。そう感じた。昼間からこれほど手こずる相手に遭遇することなど,これまでになかったからだ。帝国と一戦まじえようというこんなときに,何かが起こりそうな,もしくはすでに何かが起き始めているような,嫌な予感があった。





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