053
「陛下」鐘相ベーがやってくると,音ノ眼皇に何やら耳打ちをした。その眼がわずかに開かれる。
「皆。すまない。時間のようだ」そう言って音ノ眼皇が立ち上がる。エッジたちもあわてて立つ。その場で着席したまま食事を続けているのは寵姫だけだ。
「急の用事ができた。もっと皆と語り合いたいと思っていたのだが」「そんな。と,とんでも」エッジが頭をかきながら言葉を口に出そうとするが,いかんせん,やんごとなき者に向けた語彙を持ち合わせていない。
「陛下,またお会いできますか」パオラが少し寂しそうに言う。音ノ眼皇は笑顔を見せて答えた。「無論だ。わたしは鬼神の『ともだち』,だろう?」そうしてエッジの顔を見る。目が合ったエッジは興奮のあまり立ちくらみに襲われた。音ノ眼皇は声を出して笑いながら,エッジの元に歩み寄り,指輪をはめた手を差し出した。
「友よ。また会えることを楽しみにしているよ」
エッジはその言葉に魂を完全に抜かれてしまった。直立したまま気絶したエッジは,パオラに腕を持ってもらう形で音ノ眼皇と握手をかわした。
鐘相に案内され,エッジたちは隠し通路を進んでいる。戦主ナアハ率いる部隊が皇宮を完全に包囲し,エッジたちの逃げ道を塞いでいるからだ。皇宮を血で汚すわけにいかない。機転を利かせた鐘相の判断で,地下を通って脱出することになったのだ。
エッジは指輪をはめた手を見ながら,先の会食が夢だったのではないか,と信じられない気持ちでいる。そして,その手に音ノ眼皇の感触が残っていないことが,生涯最大の不覚であった。
手から下げたランプに,鐘相の長い髪が金の糸のように反射している。「鐘相閣下の髪,お綺麗ですね」パオラが思ったままを言う。鐘相は表情を崩さないまま「そうか」と答えた。「はい。星空をながめているようです」「星空…か」
人の気配を感じ,鐘相が立ち止まった。「この門の先だ」そう言ってランプを高く上げる。見上げるほどの巨大な門に,閂がかかっている。その前に立った鐘相が封印を解くと,門の前に立っている者たちによって外された。
「この先の暗闇を抜けると,上の道に続くはしごがある」「わかりました」エッジが返事をする。鐘相はエッジの指輪を一瞬見やり,顔を見て行った。「どうか,ご無事で」
開かれた門に,エッジ,パオラ,寵姫,そしてファランが足を踏み入れる。ランプの明かりは奥まで届かない。ずいぶん先まで続いているようだ。エッジは魔法の糸がしっかりと四人をつないでいることを確かめ,三人を先導するように歩き始めた。
ズ。
背後の門が音を立てて閉じられる。突然,ランプが消え,完全な暗闇に陥った,そう思った次の瞬間。
ゴウ。
熱風が吹き荒れ,部屋全体がオレンジ色に染まった。
「ようこそ,寵姫殿。待っていたよ」
四人を前に,暴竜は火の鼻息を吹きだしながらそう言った。
封印のされた門の前で,鐘相は心の中でエッジたちに詫びた。
「配達人殿,我らを許してくれ…」
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