011

本来,三人には,月明かりに照らされた海を一望できる最上級の寝室が割りあてられていた。だがはっきりと目に見える床がなければ部屋に足を踏み入れることさえできないエッジに配慮して,幹をくりぬいて作られた別の寝室へと三人は案内された。

天井をただようクラゲがほのかに光を放っている。海鳥の羽毛が用いられたベッドはやわらかく,木の香りが心を穏やかにする。こんな夢のようなところで過ごしていたら堕落してしまう,と,エッジはやや冗談まじりに思った。



どれほどの時間がたったか,エッジは目を覚ました。身体の感覚がまだ夜明けの遠いことを告げている。パオラの方を見ると,その寝顔から赤みは引いている。中毒にならなくてよかった,とエッジは神官にさしだされた水のごくわずかな甘味と塩気を思い出していた。

二人ともぐっすりと眠っている。むやみに起こさないよう,エッジは静かに部屋を出た。

自分の足音がはっきり聞こえるほど宮殿は静まりかえっている。通路の脇から顔を出す燐光花が,かすかに鈴のような音色を奏でながら,淡い光で道を照らす。それをたよりにエッジは進み,やがて謁見の間に出た。

玉座に誰かが座っている。エッジの姿に気づいたのか,こちらに顔を向けた。吸いこまれるような美しさ,というものがあるとしたら,いま自分が感じているものこそがそれだ,とエッジは思った。やや切れ長の目,とか,透き通るような肌,とかそういった特徴で表現できるものではない。いいな。それだけ思った。いつまでも見ていたい。そう思った。わずかに相手が動くだけでも,ビリビリと全身が喜びをあげ,血管が身体のすみずみまではりめぐらされていることを,痛いほど激しく血液が循環することで感じた。

「おや,こんな時間に珍しい。どなたですか」相手はそうエッジに話しかけた。耳に届くだけで身体のほてりが静まるような,心地よく澄みきった声だった。しかも目の前にいるのが,身動きもせず自身に見とれる不気味な人物であるにも関わらず,落ち着いた表情を崩さない。かたやエッジは,その言葉が頭に届くまでかなりの時間を要した。

「あっ,わ,私は」思わずエッジは手で顔を隠し,目をそらす。「すみません,じ,ジロジロ見てしまって」

その落ち着かない動きが滑稽なのか,くすくすと相手は笑う。「おかしな方ですね」

「は,はい,私は,おかしい,です」「まあ」その返事がよほど奇妙だったのか,声をあげて笑う。その様子に,エッジは相手が少し心を開いたように感じてほっとした。

「ごめんなさいね,あなたのような変わった人,今まで初めてで」



エッジは自分が帝国の配達人にであること,帝国と一戦まじえるつもりの離宮が戦火に飲まれることを防ぐため,ここにやってきたことを伝えた。

「では,わたくしたちのために戦っていただけるのですか」

期待をこめた言葉だった。だがその問いはエッジの腹に抱える重いものを思い出させた。

「わかりません。私は,あのとき,灰の王国にいたとき,この美しい離宮が失われることがいやで,いてもたってもいられず,迷惑を承知でここへやってきました。けれども」

そう言いかけてエッジは口をつぐんでしまった。「けれども,何か?」口に笑みを浮かべ,遠慮はいらない,といったように促す。ちらりと視線に入ったその笑顔に,ためらう気持ちが弱まった。

「けれども私は,人をあやめたくないのです」そう言い終えた直後,相手の眉が下がるのがわかり,エッジは思わず顔を伏せてしまった。

「すみません,失礼なことを聞いてしまって」気遣う言葉がかけられる。気分を悪くさせてはまずい。エッジはあわてて答えた。「いえ,すまないのは私のほうです,役立たずなのがわかっていて,こんなところに押しかけてしまって,本当に,申し訳ありません」そう言って深く頭を下げた。

互いに沈黙が続いた。ふいにそれをやぶったのは相手だった。「ところで,何かお気づきになりませんか」

突然の問いに困惑する。「何か,というと?」その間抜けな返事に,相手の顔がいたずらっぽく変わった。「親切な配達人さんに,水神の祝福を」

思わずエッジの顔が歪んだ。全身の血が先とは逆に流れるように感じ,「くっ…」と声をもらしてしまう。



「寵姫様,また私をからかいましたね…」





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