043

「いつまでそうしておるのじゃ。余は退屈だぞ」

寵姫は両足を投げ出し,くすねた煎餅状の食べ物を口にしながらあきれている。その半開きの目は動かぬ彫刻のように抱き合う二人に向けられていた。あぐらをかいて腰を下ろすエッジ。その膝はパオラの特等席だ。これまで当たり前だったこと,それがようやく取り戻せた幸福を二人は無言のまま味わっている。

「はよう出発せねば追手が参るぞ」

粉のついた手をはたきながら寵姫がそう言うと,ようやく二人は顔を離して寵姫を見る。まっさきに立ち上がったのはファランだ。「エッジ。手当てをしましょう」その言葉にパオラの顔が曇り,エッジの顔を見上げる。

エッジの表情も先ほどとはうってかわった暗いものになった。「ありがとう。だけど,もうだめだと思う」何がだめなのかは視線が示している。服が巻きつけられ微動だにしない,右腕のことだ。

「黒檀の帝を退けたヌシがそこまで追いつめられるとは,敵も相当の手練れだったとみえる」エッジの戦いぶりを知りたい寵姫が挑発気味に言う。エッジは見事にひっかかり,「いえ,そういうわけじゃ」と否定した。そうしてエッジは話しだそうとしたが,それを遮るようにパオラが口を開いた。「寵姫様,黒檀の脅威を知ってるんですか?この前知らないって」

話の腰を折られた寵姫は唇の端を上げて言った。「余は見えるものすべて知っておる。闇の中まで見通すことはかなわぬがな」歯に挟まったのを気にしていることを察したファランがすかさず水を差し出す。それを一口飲んだ寵姫は続けた。「とまれ,ヌシの戦いぶりは,都への道すがら聞かせてもらうとして,今はヌシの傷を癒すことが先決じゃな」

エッジは弱気な声で答える。「いえ,もう,だめです」「かまわぬ。見せてみよ」

寵姫の言うことには逆らえない。エッジは服の結び目をとき,布をほどいた。

「!!」「…っ」「ほう,これはすさまじい」

一見してわかるほど,ひどい怪我だった。いや,怪我というよりも,肩から焦げた骨つきの肉が垂れ下がっているようにしか見えない。腕を治療するどころではなく,ほうっておけば,壊死が広がってしまう。眉をしかめるファランと,視線をそらすパオラ。ただ一人,興味深そうに腕に歩み寄ったのが寵姫だった。もはや感覚のない腕に触れ,持ち上げてじろじろと見る。そんな失礼な態度に,さすがにエッジも「あの,やめてください」と身体をひっこめようとする。

「動くでない」強い語気で寵姫がそう言った。腕を見るその目が真剣なものに変わっている。「配達人よ,断ち切らなかったことをほめてやろう。さすがに余も生やすのは難儀じゃからな」

その言葉を不思議に思う三人。すると寵姫の手に青い光が生じ,渦を巻いてエッジの右腕を包んでゆく。その光は温かく,まるで柔らかい指に触れられているようだ。それがあまりに心地良く,エッジは穏やかな気持ちになる。その身体の異変に気づいたパオラがむっとして,「ちょっと,何考えてんの!」と頬をつねった。

炭化した皮膚と赤黒い肉が渦のなかへ溶けていき,次第に色が変わってゆくのが見える。「すごい」ファランが思わず口に出す。その神秘に三人は息を飲んで見守った。

やがて青い渦が消えた。代わりに現れたのは,もとの瑞々しい張りを持った腕だった。あっけにとられるエッジをよそに,寵姫がそれを何度か動かし,あちこちに視線を向けながら様子を確認する。そうして手の平に自身の手を重ねると,「どうじゃ。握ってみよ」と言った。

おずおずと指が閉じる。吸いつくような感触が伝わる。「あ,あの,ありがとうございます」エッジが震える声で感謝の言葉を口にした。「ふ,礼を言うのがちいとばかり遅いが,まあ,よいじゃろう」そういって寵姫が手を離そうとした瞬間,上下から小さな両手に挟まれた。「エッジ,わたしの手は?」見開いた目でパオラが聞く。エッジは微笑んで,「うん。パオラの手もあったかいよ」と答えた。するとさらにその上からファランが両手をかぶせてくる。「エッジ。私の手はどうですか?」エッジは苦笑しながら「う,うん。ファランの手もちゃんと感じるよ」と答え,四人はその場で大笑いした。





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