019

寵姫の真剣な眼差しに,エッジは思わず目をそらしてしまう。そのためらう様子に,すいと寵姫の身体が離れる。「無理にとはいわぬ。されど,余もこの宮に少しは未練があるのでな」

そうして寵姫は口元に手の平を寄せると,ふっと息を吐いた。青い光の粒が生まれ,二人のまわりを漂う。

青白い光がエッジの組んだ手に影を作る。それをぼんやりと見ながらエッジは迷った。

「海の向こうでは戦がはじまっておろう」寵姫は言いながら光の粒を指でくるくると回す。それは綿毛のように形を変えた。「どちらかが参るまで,もしくはその口がなくなるまで,昼も夜も訪れることはないじゃろうな」

「どうして帝国は」エッジは顔を上げた。だが寵姫と目が合い言いよどむと,そのまま顔を伏せてしまう。それでもなんとか声を絞りだした。「どうして帝国は,こんなことを」

「ヌシはそんなむつかしいことを余に問うのか」寵姫が耳元でささやいた。エッジは飛びあがる。そんなあわてる様子を見た寵姫は子供のように大笑いした。そうしてエッジが落ち着くのにあわせ,昔話をするようにつぶやいた。「素直に負けを認められないからじゃろうな」

「負け?」服装を正しながらエッジがたずねる。「今の帝国を支えておる者は,帝国の繁栄を見ながら育った。なれど今,かつての威光など些かもない。それはヌシも知っておろう。老いて力を失ってゆく我が身の焦り,それと目に見えて衰えてゆく帝国の姿が重なるのじゃ」

はぁ,と気の抜けたエッジの額を寵姫が小突く。「これ,まじめな話をしておるのだぞ」「すみません…」額に手を当てて素直に謝るエッジに,寵姫が微笑む。「まあ,生まれを拠り所としないヌシにはわからんじゃろうな」

寵姫の言葉は耳に入らなかった。その笑みに見とれたエッジは,そんな自分に気づき思わず耳まで赤くしてしまう。「す,すみません,話の腰を折ってしまって」

寵姫はあきれたような顔でため息をつく。と,エッジの剣が目に入った。「ヌシはその剣をこの戦で活かそうとは思わぬのか」そうしてエッジのひきつってゆく顔を見た。難しい問いを自分にしたのだから,その分,答えにくい質問をしてやろう,そんな気持ちがあったのかもしれない。

「私は…」そう言ってエッジは剣の柄を手で触れた。「ヌシがいま十万斬れば戦は終わるじゃろうな」

背筋が凍りつくような言葉だった。これまでにない迫力があった。冗談など微塵もなかった。寵姫は本気でそう思っている。そしてそれは真実だ。

「…。そんな,私は」「いま十万斬らねば幾百万が死ぬぞ」

わずかに風が止んだ。汗ばむ熱気が身体の熱を逃さない。「じゃが十万斬ればヌシの魂は永遠に地獄をさまようじゃろうな」「どうしてそんな残酷なことを言うんですか」「我が身かわいさに幾百万の命が失われるのをただ眺めるのも一興じゃが」

「どうして…」エッジは肩をふるわせうずくまってしまう。「ヌシが振るう剣はいかように用いても修羅の道にしか続いておらぬ」

寵姫はエッジに向けていた顔を戻し,再び吹きはじめた風を感じながら言葉を続けた。「じゃが,幸いこの宮にはヌシが選ぶだけの時間ができた。存分に迷うがよい。そして…」

エッジの頬に柔らかいものが触れた。はっとして顔を上げ,赤い目で寵姫を見る。

「もしつらくなったら,いつでも余がなぐさめてやろう」

そう言って寵姫は微笑んだ。その顔が急に小さくなっていき,エッジは暗闇に吸いこまれていった。





(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).

cc by-nc-sa

results matching ""

    No results matching ""