005

飢えた獣に対し,この凍えた生身の身体では打つ手がない。アルジは差し違える覚悟だった。

ところが予想は裏切られる。四つ足の獣には人が乗っていた。人だろう,たぶん。というのも暖かそうな毛に覆われ,顔しか見えないからだ。「調査隊の方ですか」二人の手前で止まったその人物に,アルジは尋ねた。

「調査隊のミミです。あなた方は?それよりも大丈夫ですか。紫針竜の襲撃を受けたのでは」

相手は驚いているのか,矢継ぎ早に質問をくりだした。アルジはそのなかで最も重要と思われることを答えた。「後発隊のアルジと,助手のケライです。あなた方の連絡が途絶えたため,調査のためここへ派遣されてきました」

「後発隊?他の方はどこかに避難されているのですか」いまいち話がかみあわないというか,それはアルジの返答が悪いせいなのだが,こんなところで立ち止まって問答していてはくたばってしまう。

「このままでは凍えてしまうので,あなた方の拠点へ連れていってはいただけませんか。そこで詳しくお話しいたします」

「ええと,失礼ですが,身分を証明するようなものをお持ちですか」そんなものはバケモノに粉砕されたよ。というのはおそらく言い訳にはならない。わずかな希望が薄らいでいくのを感じる。相手もこちらを助けたいのはやまやまなのだろうというのは狼狽する様子からうかがえるのだが,素性の知れぬ者を受け入れるわけにもいかないのだ。ここで焦ってはいけない。

「私たちは先ほどの攻撃でなんとか生き延びることができましたが,荷物は全て失ってしまいました。だから身分を示すものは持っていません。ですがこのまま置き去りにされては二人とも死んでしまいます。私はその覚悟でここまで来ましたが,助手のケライは何も知りませんし,私の誤ちで道連れになるのはとても耐えられません。お願いですから,ケライだけでも連れていっていただけませんか。どうか」

アルジは冷たい地面に膝をつき懇願した。よくもまあベラベラとしゃべるものだ。とはいうもののケライだけでも助けてほしい,というのは本心でもある。すると隣で突っ立っていたケライから予想外の言葉が出た。

「私はただの雇われ人ですから,助けるなら調査隊の一員であるアルジさんを連れていってください」

「えっ」と思わずアルジは声を出してしまった。「ちょっと,それはまずい。」

あわてて言う。「ケライは私の身勝手で連れてきたんだからこうなったのは私の責任だ。私はなんとかするから,いや,なんともならないかもしれないけど」それを遮るようにケライは言った。「私の仕事はアルジさんを守ることです。だから私を優先するのはおかしいと思います」「だってケライの手はこんなに冷たいし」そう言いながらケライの手に触れようとするアルジの手をはねのけ,「触らないでください」とあしらった。

そのやりとりを見ていたミミは「ふっ」と笑った。「おふたりはずいぶんと仲が良いんですね」そうして獣から降りると,「ふたりとも乗ってください。この子が里まで連れていってくれます。」と笑顔で言った。

助かった。というかこの人がいい人でよかった。まあいい人ってなんの情報もない便利なほめ言葉にすぎないのだが。

アルジは身体の内からわきあがる言い知れぬ歓喜にふるえたが,同時に別の疑問がわく。ミミはこの獣なしでどうするのか。するとミミは片手に取り出した筒に火をつけ,空にかかげた。続いて破裂音とともに,煙を伴った光が空へ登る。信号弾だ。持ってるなら早く使えよ,という気持ちに気付かれないよう,アルジは深くお礼を言って,ケライとともに獣に乗ると,ミミが里と呼んだ場所へ向かった。



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