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アルジは宿舎のある部屋をノックするまで,様々な場面を想像した。どれもうまくいかなかった。だがそれでもやらなければならない。
「ミミさん。アルジです」
雪灯籠の捕獲装置を製作するには,加工に詳しいミミの協力が不可欠だ。だがそれは心に深い傷を負ったミミを早急に現場に復帰させることでもある。はっきりいえば,「ミミが装置を作らなければシンキは死ぬ」,ということだが,そんな脅しをしようものなら,精神と肉体がともに限界のミミをさらに追いつめることになりかねない。言葉を十分に選ばなければならなかった。
当然ながら返事はない。ドア越しに話しかける。「私が以前討伐した雪灯籠の素材に,怪我の治療を促進する効果があるそうです。だからボッチさんと私で新たな個体の捜索に向かおうと思っています。捕獲装置の設計図を描いたので,添削していただけないでしょうか」
無音だった。何かの擦れる音もない。「ここに入れておきますので,よければご覧になってください」
そう言ってドアの下から,改訂した報告書と,アルジ達なりに作成した設計図をさしこむと,二人はラウンジへ引き返した。
雪灯籠は本体を雪中に隠し,擬餌で獲物を釣る。夜の雪山で,光る胞子状の物体があれば,それを追いかけることで本体の居場所がわかるのだ。だがボッチはこれまでそのようなものを見たことはないという。ということは,アルジが出会った個体は,偶然里の近くに根をおろしたと考えられる。ボッチの発言が正しければ,雪灯籠はこの山でそれほど多く生息しているわけではなさそうだ。新たな個体を見つけるために,夜の雪山をどれほど探し回ることになるのか,アルジは気が遠くなった。
「捕獲じゃなくて殺すんですか」
不意にケライの言葉が思い出された。自分のメンツを守るためにアルジはケライの忠告を無視し,貴重な素材を失った。ケライはいつも正しいことを言う。
「ケライ」不意にアルジの目が曇った。ボッチはアルジが急に暗い表情になったので怪訝な顔をした。だが,すぐにその意味に気づき,「そうか。お前も大事な人が苦しんでるんだもんな」と共感を示した。
と,大きな足音が響いてくる。床が突き抜けるほどだ。二人はびっくりして音のする方を見る。そこから現れたのは,
「ミミさん」
ミミはぼさぼさの髪もそのままに二人のところまでやってくると,手にしていたくしゃくしゃの紙を机にたたきつけた。その顔は能面のように不気味だった。
「この設計図を描いたのは誰ですか」
つつけば破裂するほどの怒りに満ちているのが声からわかる。その熱量はラウンジ全体を辛い空気で覆いつくすほどだ。
「この設計図を描いたのは誰だと聞いているんですが」
背中を丸め,申し訳なさそうに二人が手を挙げる。
バン!
ボッチとアルジは胸倉をつかまれると,そのままものすごい腕力で壁に叩きつけられた。「これのどこが捕獲装置なんですか。釣り針ってなんですか。魚ですか。魚じゃないですよね。モンスターですよね。誰が釣るんですか。人間ですか。力持ちですね。がんばってくださいね。大型包丁ってなんですか。甲殻の硬さを知ってて言うんですか。包丁で切れるんですか。大型だから切れるんですか。そうですか。誰が切るんですか。剣豪ですか。それじゃあ今すぐここに呼んできてください」
振り乱した髪の隙間から覗く見開いた瞳。その開ききった瞳孔はどこまでも暗く,二人は震え上がった。無知な者によるいい加減な仕事。あまりに質の低いものだったのだろう。それを大層に設計図などと呼ぶものだから,ミミが烈火のごとく怒り狂うのも当然だった。装置の出来によって生死が左右されるのだ。
「ご,ごめんなさいっ」
ようやく解放された二人はそのまま力なく座り込み,ミミは腰に手を当てて鼻から大きな息を出すと,落ち着きを取り戻したようだった。
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