059
おそらくその場にいた誰もが思ったことだろう。時間を止める。そんなことをできるようなモンスターがいるわけない。仮にそんな力をもつモンスターがいれば,やがて空間を引き裂くモンスターや,ブラックホールを操るモンスターや,過去改変をするようなモンスターや,概念を創造するモンスターが登場してしまうことになる。
当然ながら「そんなことあるわけが」という空気に支配されそうになるのを,アルジは目で威嚇し,制した。燃える拳を持ち,敵を爆殺するモンスターがいるといっても,実際に遭遇するまで誰も信じなかったのではないか。ここはそういう世界なのだ。
アルジはシッショを座らせ,コップに水を汲んでくると,シッショの前に差し出した。シッショは礼を言って飲み干してから,ぽつぽつと語り出す。
そんな長い話じゃない。僕らは湿地で前に出会った四つ足の動物を探していた。足が遅くて太ってたから,新たな食料として使えるんじゃないかと思っていたんだ。そこでやつに会った。色は少し違っていたけど,間違いない。すぐにクビワが向かっていった。攻撃をひょいひょい避けて,このまま倒せるんじゃないかと思ったんだ。そしたら急にクビワの動きが止まった。時計が止まったみたいに。僕はまずいと思って,悪臭玉をやつにぶつけて,クビワを背負って逃げたんだ。クビワの身体はカチコチに凍ってるみたいだった。
湿地の草は長いから,鼻の利かないやつから逃げるのはそう難しくなかった。気配が遠のいてクビワを降ろしたら,心臓が止まってるのがわかって,もう必死で,ひたすら胸を叩いて,空気を送った。なんとか心臓が動きだして,やつの気配が消えたから信号弾を撃った。それから宿営地の方へ向かいながら救援を待った。そうしたらアルジが来たんだ。
まるであの悲劇を再現しているかのようだった。そのつらさはシンキが一番よく知っているだろう。シンキは「シッショさん,ありがとう。もう休みましょう」と言ってシッショを寝室に連れて行った。残った者で,ケライをのぞく全員が考え込んだ。
「前から考えていたことだが」オヤブンが沈黙をやぶった。「調査範囲を縮小しようと思う」
予想できたことだ。オヤブンは以前から,隊員が調査に出るたびに傷つくことを危惧していた。その被害が,マッパをのぞけば,里を出ないショム以外の全員に及んだ。今後もマッパは調査を続けるだろうが,それ以外のメンバーは,アルジとケライが来る前のように,雪山の付近を調査し,すでにわかっている情報を調べ,報告を繰り返すことになるだろう。何度も。
そして紫針竜を倒す手立てもなく,食料の尽きた調査隊は静かに全滅する。
その方針にアルジは反対だった。おそらく,全ての意味で。知的好奇心を満たす意味で。達成感を得る意味で。生き残る意味で。自分である意味で。
だが里の人々は,それもやむを得ない,という雰囲気であった。調査のたびに,瀕死になり,心を傷つける者が出れば,士気は下がる。今後は死者も出るかもしれない。現に,ボッチ団はあれ以来大がかりな調査には出ていない。そのことをシンキは心苦しく思ってはいるが,だがシンキ自身,これ以上自分が危険に晒されないことを安心してもいる。
そして今回,クビワの安全を考えるシッショにとって最悪の事態が生じてしまった。おそらくシッショは今後クビワを危険な場所の調査に向かわせることはないだろう。そもそも今回の調査だって,そこそこの安全を見込んで行ったことだったのだから。
空気があのときに戻ってしまった。アルジはそれを不満に思うとともに,閉塞感を打開できない自分の未熟さが情けなかった。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).