149
アルジへの聞き取りは,ケライの手が疲れたところで終了となった。残りは明日以降に持ち越しだ。ケライの聞き取り方が巧みだったのか,はたまたアルジの使命感からか,アルジの話した内容は多岐にわたり,膨大な量になっている。むしろ,よくケライの腕が耐えたといえる。
その後,テントのなかでボッチたちとともに夕食をとっていると,ボッチがケライがとった記録を読みたいと言ってきた。食事の最中に黙りこくって書類を読む,というのは感心しないが,瓦礫の掃除をすれば秘密にありつける,その一心でこれまで作業をしてきたのだ。ケライはそれに応じ,紙の束を渡した。
手早く書き留めるため字は綺麗とはいえなかったが,読めないほどではない。ボッチが無言でページをめくっていると,その場にいたシンキも興味を持ったのか何が書かれているのか聞いてきた。
「食事中に読むようなもんじゃないな」
ボッチは内容の説明を拒み,ミミも相槌をうつようにうなずいた。それほど悲惨なものなのだろう。
一人で泣いているところを拾われたアルジが,やがて住む場所を追われ,目的のわからない戦いに身を投じ,投降して南に連行される,その過去が切々と述べられている。ただ,読みながらボッチは満たされない気持ちであった。ふと,それを口にする。
「結局,血の嵐の原因は何だったんだ?」
そう言ってボッチが顔を上げると,それまでミミたちと穏やかに話していたアルジの顔がみるみるひきつってゆく。
「どういうことですか?」抑揚のない別人のような声だ。「いや,知らないならいいんだが」そう言って続きを読もうとするボッチにアルジが問いで遮る。「知らないならいいって,どういうことですか?」
テント内の空気が一気にはりつめる。「どうしたんだ,アルジ。落ち着け」「アルジさん」「ここでどれだけの人が死んだと思ってるんですか。どれほど…」アルジの声が詰まる。思わず,どれほどひどいものを見てきたのか口にしようとした。それを不安そうに見るミミと目が合い,なんとか飲み込む。「それなのに,原因が,原因がわからなければどうでもいいっていうんですか」
「そんなこと言ってない」「言ってないだけで思っているはずだ。私はあなたのような人にばかり会った。どの人も,血の嵐がどうして起きたのか聞くだけで,そこでどれだけの人が傷ついたか,苦しんだか全然気にしない。残念だった,としか言わない。だって,人は毎日死ぬから」「違う」「あなたが知りたいのは数字としての被害と原因だけなんだ。その数字が大きければ大きいほど興奮する。残酷なやり方で人が死ねば興奮する。謎が明かされれば興奮する。そうなんでしょう」
「勝手なことばかり言うな!」言いがかりをつけられたボッチが声を荒らげる。「やめてください!」「ボッチも大声出すのはやめて」ミミは震えるアルジを抱きしめ,シンキはボッチの服を引く。
「落ち着いてよ二人とも…」祈るようにシンキが声をしぼりだす。だが二人は頭に血がのぼったままおさまらない。「あなたたちにとって私たちの苦しみや死なんてどうでもいいことなんでしょう」「違う」「私は南に来てからずっとむなしかった。あれだけみんなつらい思いをしていたのに,誰もそんなこと気にしないで,どこの店の何がおいしいだとか,医者に痩せるよう言われたとか,そんな話ばかりだった」「何が起きているかも知らないのに気を配れなんて無理だ」「嘘だ。あなたたちは何が起きていたか知っていた。だから血の嵐と呼んだんだ。でも見ないふりをした。ほんの少しでも私たちのことを見てくれたら,助かるはずだった命だってたくさんあった。でもそんなことあなたたちにはどうでもいいんだ。それは私たちがあなたたちから遠く離れているからだ。だからどれだけ苦しんでも,それが魅力的な話でなければ誰も知ろうとしない。そして人を魅きつけるような話になる頃にはみんな死んでいる」「悲劇の英雄を気取るのも大概にしろ。そんなに他人の死や苦しみばかり気にしていたら生きていけないだろうが。お前らにお前らの生活があったようにこっちにだって生活があったんだ。お前らが苦しんでいたら俺たちは何ひとつ楽しんじゃいけないってのか」「それで私たちの死も物語のひとつとして楽しむっていうんですか」「そんなこと言ってないだろ!」
「もうやめて!」シンキが叫ぶ。「あたしが面白半分に聞いたのがいけないの」「お前は悪くない」「アルジさん,ごめんね。アルジさんに昔何があったのか知りもしないであんなひどいこと聞いて。本当にごめん…」
場を沈黙が支配する。アルジはシンキに向かって言いたいことだって山ほどある。けれども言ったら終わりだ。終わり?もう既に終わっているはずなのに,何をためらうことがある。けれども言えなかった。本当はまだ未練があったからだ。終わっていないと思いたかった。
ボッチにも,アルジには決して言ってはならない一言があった。その一言は反則だ。言えばアルジをどん底へ突き落とす。だからそれを隠してアルジと戦っていた。
北の大陸など,多くの人にとっては本当にどうでもよかったのである。離れた場所で起きた小競り合いでどれだけ多くの人が死のうが,自分たちには関係ないことだからだ。アルジが言ったことは正しかった。血の嵐のさなかでも,他の地域では戦いが起き,そこでも人は死んでいる。それに,争いが終わったからといって,災害が収まったからといって,北の大陸に何があるかなんて誰も興味はない。そんなことよりも子供の食べ物の好き嫌いをどう克服させるかや,職場での人間関係を円滑にする方法や,腰痛の緩和のほうがはるかに重要なのだ。血の嵐のなかで命を賭して戦った人々がいたのかもしれないが,それを語り継ぐ者まで消えてしまったのだから,勇敢だったかどうかなんてわからない。守ろうとした文化も,言語も全て途絶えてしまった。そして北の大陸を気にも留めなかった人々が,やがて自分たち自身が同じような目にあっても,他の誰も気にしないだろう。どれほどの富豪であろうが,権力者であろうが,自分の命など他者にとってはどうでもいいものなのだ。
やがてアルジはミミの胸で鼻をすすり,自分の過去を自分で慰めるように,喉を振るわせながら呟いた。
「私,私は…,みんな,死んだ。すごく…さびしかった,ずっと」その言葉にボッチは顔をそらしたまま,わずかに視線だけを向ける。
「だから,みんなに,…そんな思いさせたくなかったん,です。だから,…だから,手足がなくなっても,みんな,助けたくて」
言い切らないまま,アルジはミミの腕をひきはがすように離れ,テントを飛び出していってしまった。皆にアルジのような思いをさせたくなかった,というのはアルジの本心だろう。そしてこれまで里の人たちを助けてきたのも事実だ。おかげで,皆,これまで失うことの苦しみをアルジほど経験せずに済んだ。それは幸運なことだった。ただ,それは血の嵐の亡霊として生きるアルジを理解できない不幸ももたらした。
とはいえアルジはどこまでも卑怯であった。アルジはなぜ手足を失ったのか。なぜ皆を助けようとしたのか。それはアルジの好奇心が優先したものだ。誰かを助けようとしたからではない。それを自らを欺き,あたかも自分を良い人間のように見せかけ,守り,相手を悪い気分にさせた。小賢しい。調査隊としてここにやってきてからずっとアルジは誰も見ていなかった。不満があれば相手を傷つけようが構わなかった。自分しか見えていなかった。
あの日,アルジは何を思って投降したのか。果たしてアルジの命とは,周囲に裏切り者と罵られてまで生きるほど価値のあるものだったのか。そしてアルジを玩具とし,散々に扱い,非難し,奪い,裏切り,追い詰め,壊しておきながら,何の償いもせず平穏を保つこの世界に,アルジが生きるほどの価値があるのだろうか。
それはお前が決めることじゃない。
そんな信念の塊が,その頃,助かった仲間とともに里への道を進んでいた。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).