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アルジはそれから足元の草や土を調べはじめ,思いっきり足で地面を叩いた。ばさっ,という音とともに底が抜ける。アルジは持っていたランプを灯し,穴の中を照らす。あれがケライを刺したトゲか。それはまさに柱からナイフがいくつも生えたかのような形状だった。生き物を殺し,肉を裂き,血をすすることに特化したような禍々しいものだ。そのトゲの方向から,あの木からのびていることは間違いない。
改めてアルジは周囲を見回し,なぜこれだけ広い平地に大型の動物が姿を見せないのかもわかった。皆この植物の姿をした肉食生物に喰われているのだ。とはいえ,まれに小さなネズミのような姿を見る。軽ければ落とし穴は開かず,鳥の襲撃さえ気をつければ小型動物の楽園なのだろう。
この大樹を中心とした独自の生態系が営まれているのだ。昼寝をするマッパをよそに,アルジは北の大陸の素晴らしさにうち震えていた。
ふと,穴の開いた土と,そうでないところの草に違和感があった。なんだ?おそらくこの違和感を確実にしたものがマッパのいう「なんとなくわかる」というやつなのだろう。その違和感が消えぬうちに,その根源に四つんばいになり,ひたすら目を凝らす。
どれほどの時間がたっただろうか。日は傾き,マッパがそろそろキャンプに帰ろうとアルジを誘おうとした瞬間,アルジは大声で叫んだ。地上に出ていた生き物がびっくりして一斉に姿を隠す。
「わかった!わかりましたよ!」興奮してアルジがなおも大声をあげる。「なんだ?何がわかった」その様子にマッパも急いで走ってくる。
「穴が開いているところと,そうでない場所で植生が違うんです」まるでアルジのほうが走ってきたかのように,息を荒げながら話す。「ショクセイ?」「簡単に言えば,落とし穴とそうでないところで生えている植物が違うんですよ」「そうなのか?」アルジの言葉を聞いたマッパが片膝をついて,アルジが示す場所を見る。
「見てください。こっちは葉が一枚ですが,穴のほうは葉が二枚です」「確かに」「葉が一枚のほうは見た目と違って根を深く張っています。それに対し,穴のほうに生えている植物は,浅い土でも育つように根が短いんです。本来は違う地域で育っていたものが,小動物のフンか,何らかの形でここに根付いたことで,巧みな落とし穴を形成したのかもしれません」「ふむ。詳しいことはわからんがそういうことなら解決した,ということでいいんだな」
よし,飯にして今日は寝よう,と話もそこそこにマッパはアルジの背中を叩き,キャンプへ帰るよう促した。マッパは理屈に興味が全くないようだ。
薄々予想はしていたが,キャンプに当たる風よりもマッパのいびきの方が数段うるさかった。もっと身体を動かして自身を疲労させておくべきだったか,と後悔しながらその身を起こすと,アルジは夜の風に当たるためキャンプの外に出た。
その木は昼とは全く違う趣があった。吸い込まれるような美しく青い光。その光の束が風になびき,夢の世界に導かれたようだ。そこからゆるやかに漂う風は甘く,脳までとろけそうな酩酊感をもたらした。
遮るものが何もなければ,アルジは夢の世界へ足を踏み入れていたかもしれない。ただ,マッパのいびきが現実への糸をわずかに残していた。意図せずアルジは腰に差していたナイフを右足に突き立て,その激痛で我を取り戻した。アルジのうめき声にそれまで熟睡していたはずのマッパは急に起き出し,何事かとキャンプを飛び出す。
「アルジっ」アルジに駆け寄ったマッパは,激しい出血を敵襲と勘違いする。アルジは激痛をこらえながら,マッパに自分をキャンプの柱にしばりつけるよう頼んだ。アルジが錯乱したのか,と思いながらも,その身体をかつぎあげキャンプへ運び,止血と簡易縫合を施すと,アルジに言われた通り柱にくくりつけた。
「お前らはどうしてここに来ると血まみれになるんだ」そう言いながら額の汗を拭ってやるマッパに,アルジはありがとうございます,と呟くように返事をした。そのまま意識を失うように眠るアルジを一瞬死んだかと狼狽するが,やがて聞こえてくる寝息に安心し,朝まで見守った。
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