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間もなく全員へ,アルジとケライを再び里に受け入れるという通知がなされた。状況に振り回されるボッチは険しい顔だ。だがぼんやりしている時間はない。早朝から,マッパが要求する資材を獣車に積み込む仕事にとりかかった。針山で設営する拠点の目処がついたためだ。二台の獣車はフル稼動で里と予定地を行き来している。アルジが大怪我を負ってからというもの,里の状況は激変につぐ激変を経て,ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
ボッチが仕事を始めてしばらくして,シンキが朝食をとるためにラウンジに下りてくると,ふだんケライが座っていた場所に異様なものを見つけた。
一見すると,大柄なミミに小柄なケライが収まり,二人羽織のようになっていた。具体的にはミミの膝上にケライが座っているのだが,奇妙なことに,なぜか互いに唇を重ねている。どうやらミミからの一方的なアプローチらしく,ケライは嫌がっているようだった。だがその様子は見ているこちらが赤くなるほど濃厚で,激しい。しかもケライの両足は挟まれ,両腕にはミミの腕が巻きついているため,身動きできず,そのまま残ったミミの手で顔を固定されなすがままとなっている。
呆然とするシンキに気付いたケライはミミの口から逃れようと身体を動かそうとするが,体格の差は埋められるはずもなく,目を向けるのが精一杯である。二人にそんな関係はなかったはずだが。ケライが起きてきたところをミミに捕まったのだろうか。だがなぜこのような状況になっているのか。
ふと,ミミのトレードマークである,普段は垂れ下がった大きな耳がピンと立っているのに気付いた。
あー,あれか。
シンキは思い至ることがあった。ミミは極度のストレスや激しい感情を長時間経てから,安全な環境が確保されると,信頼できる相手に深い愛情表現を示すことがある。それが獣人に由来するものかは不明だが,以前はキセイがその被害を受け,そのとき受けた恐怖から人見知りに拍車がかかるようになった。いつも怖そうなボッチや快活なシンキに比べればまだミミの方が接しやすいものの,またいつあのような目にあうか怯えている。
だがそれが起きるのは極めて稀である。裂掌獣に襲われたあのときですらミミに変化はなかったのだ。自分が知らないうちに,どれほどの出来事が起きたのか。前回そのきっかけとなったのは,四人がそれまでの環境を捨てて調査隊に所属せざるを得ないほどのものだった。それほどのことが。いつ。
ともかく,かなりの潔癖であるボッチがこの状況を見たら卒倒しかねない。なんらかの対処が必要だ。とはいえこの二人を動かすのは難しい。シンキは広場に飛び出し,ボッチに軽い挨拶だけすると書庫に向かった。その後ラウンジと書庫を何往復かして,本の山で二人を覆った。これなら,ケライが今までのように読書にいそしんでいるように見えるだろう。
「シンキ,こっちを手伝えよ」仕事をさぼっていると勘違いしたボッチがシンキのところにやってくる。汗だくのシンキは「あ,ごめん。まだ朝たべてないんだ」と詫びると,急いで食事をとって広場へ駆けた。ボッチを混乱から防ぐためとはいえあまりにも薄情であった。本の山に囲まれたシンキは唯一の助けを失い,ミミの愛情を一身に受けることとなった。
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