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本章ではストーリーの進展はない。時間を進めたい読者は飛ばしてほしい。

威勢よくオヤブンは決断を下したものの,そのための仕事をするのはショムとミミである。ボッチたちが採取してきたサンプルを増やし,ばらまくのだ。引っ越しの手伝いは当然できないので,アルジたちが代わりに引き受けることにした。書庫から新たな拠点に持っていく本を集めるのである。大体の本がどこに置いてあるのか把握していたとはいえ,二度の地震で散乱したなかから目当ての本を探し出すのは一苦労だ。

棚を戻すような力仕事は基本的にアルジに任せ,ケライは必要な本を背表紙などのわずかな手がかりから見つけ出す。ケライの手際の良さに舌を巻きながらも,アルジは忌まわしい地下室を見ないようにしながら作業を進めた。

「ケライ」「何ですか」「ここも地下室みたいにさ,本を金具で留めてあればよかったね」「それでは本を取り出すのが不便です」「でも地震が起きるたびにこんなバラバラになってたらきりがないよ」「ここはもともと地震が起きにくい場所なんじゃないか,そう言ったのはアルジさんです」「でも地震が起きないなら,地下の本,固定する必要ないんじゃない?」「そうかもしれません」

「…地震来るの知ってたのかな」「誰がですか」「地下室作った人たちが」「わかりません」


ボッチたちやシッショたちは獣車を使って資材の輸送に向かった。ショムとミミは医療施設から出てこない。里は静寂を保っている。

「ケライ,この前はありがとう」「何のことですか」「地下で私が暴れたとき,助けてくれて」「はい」「この前だけじゃない。私はいつもケライに助けてもらっている」「いつもではありません」「私にとってはいつもだよ。だからお礼をしたいんだ。何かしてほしいこととか,ほしい物があったら言って。できるだけのことするから」

その言葉のあと,ケライは黙った。あまりに応答が単調なので,てっきり聞いていないものと思ってアルジは話していたのだが。

「ケガ,しないでください」

それはいつもの尖った声質とは違う,丸みを帯びたものだった。少なくともアルジにはそう感じられた。

「…ケライ」

だが,そんな感動に浸る間もなく,「治すのが面倒なので」と付け加えられた。


作業の目処がついた二人はテントで昼食をとっていた。ショムたちが籠もる建物からは殺気が放たれている。とても食事に誘えるような状況ではない。いずれ差し入れをしよう。

「それだけで足りるの?」地震以来,ケライの食事がアルジの食べる量ほどしかないので,心配である。

「足りません」「じゃあもっと食べなよ」「他の人の分も確保しておかないと食料がなくなります」「ケライの燃料が切れるほうが心配だよ」「燃料とは何ですか」「ケライが倒れたら大変だってこと。今度ショムさんにケライがたくさん食べられるようお願いしておくね」「要りません」「私が勝手にやりたいことだから,ケライが今の分量のままでいいならこれからもそうしなよ」「…出された分は全部食べます」

素直でいい子。そんな気持ちで頭をなでようとするアルジの手は容赦なくはらいのけられる。

すぐに食事を終えたケライはアルジが食べ終わるのを待つ。だがアルジは考えごとをしているのか,あまり手が進まない。

「ケライは私と会う前,何してたの?」「斡旋所で本を読んでいました」「その前は」「公園で本を読んでいました」「その前は」

ケライがアルジに向き直って言う。「何が言いたいんですか」「ケライみたいな素晴らしい学者がどうして斡旋所なんかにいたのかずっと疑問に思っていたので,その理由を知りたいんです」「それを知って何になるんですか」「互いのことを知れば,もっと助けあえると思う」「私はアルジさんのことを知りません」「昔のことはもう話したはずだけど」「この前の報告は時系列に矛盾があります。アルジさんは嘘を言っています」



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