049

ザエルの燃え盛る腕がアルジの身体にのしかかる。

「我が子を返せ」

そう言いながら腕に力を込める。ミシミシと骨が音をたて,呼吸をすることもままならない。

「やめろ,やめてくれ」

「お前はいつでも命乞いしかしない,卑怯者だ」そう言ってザエルは顔をじわじわと近づけてくる。

「違う」

「お前は誰にも受け入れられない」なおも顔を近づけてくる。

「違う」

「自分のことしか考えないお前に,この世界に受け入れられる資格などない。」

「違う」

「そうやって自分を責めていれば,誰かが助けてくれるとでも思ったのか?」


「違う!」


アルジはそう叫んで目を覚ました。実際に声を発したかは定かではない。だが,ひどい夢だった。いや,我が子を思う親が,あの世からアルジに見せたもうひとつの現実かもしれない。暑さと息苦しさはなおも続く。呼吸がつらい。身体が動かない。まさにザエルの腕が乗っているような。

そう思って視線を下にうつすと,アルジの身体の上でクビワが眠っていた。

へ?

身体の感覚はもはや夢ではないと知らせている。だが,なぜ。

顔がべとつき,耳にかかる寝息がひんやりする。クビワの寝汗がひどい。このまま朝を迎えれば,二人とも風邪をひく。いや,クビワの身体はあたたかく,すでに風邪をひいているのかもしれない。アルジは枕元で畳んであったタオルをなんとか引き寄せ,二人の身体を拭く。その間も,なぜここにいるのかという疑問が頭から離れなかった。クビワは頑なに胸の上から動こうとはしないし,引き離そうとするとものすごい力でアルジを締め上げてくる。

シッショを危険な目にあわせたことをまだ怒っているのか?それでアルジを密かに窒息死させようとしてここにいるのか?それにしては,たまに唸りはするものの気持ち良さそうに眠っている。

いずれにせよ,このままでは朝まで眠れそうにない。だが,無理矢理起こすのも悪い気がする。というより,肺がつぶされ声を出すことさえ難しい。

「困ったな」そう心の中でつぶやいた。


結局アルジはそれから一睡もできず,浅い呼吸でしのぎながら,時折クビワの髪から垂れる汗と,口元からこぼれる涎を拭いてやった。なんとかこの状況を脱しなければならない。と,突然クビワが目をぱちっと開き,アルジを見上げた。よかった。これで。そうアルジは思い,話しかけようとした。だが。

「アルジ,おしっこ」

まずい。「待って,クビワさん。我慢して」渾身の力でアルジは上体を起こす。隠された底力だ。クビワが身体をぶるっと震わせる。近い。これはかなり近い。「お願いクビワさん。あと少しだから我慢して,お願いします」

お願い,我慢して,辺境最強の戦士はおもらしなんてしないよ,そうクビワに言い聞かせ,義足をはめると,腰の悲鳴をこらえながらバタバタとトイレにむかう。

緊急事態は去った。すっきりした様子のクビワ。その下半身を拭き,下をはかせてやる。クビワに何が起きているんだ?まるで赤ちゃんのような。シッショはこのことを知っているのか?様々な疑問がよぎる。だがクビワはそんなことおかまいなしだ。

「アルジ,ごはん」ごはん。トイレの次はごはん。まだ朝までは時間がある。ラウンジの食品棚は安全のため締め切られているはずだ。夜食を取る予定であれば,事前に申請し,受け取っておく必要がある。

シッショとクビワはふだん宿舎で寝ない。当然ながらシッショの私室から返事はない。クビワを抱っこしたまま,棒立ちで考えをめぐらせる。クビワの頭は力なくアルジの肩にもたれかかり,何か小言でぶつぶつ呟いている。赤ちゃんのようにぐずり出したら大変だ。こいつの腕力は鉄をも砕く。たぶん。

いつでも夜食を備蓄している人。考えられるのは一人しかいなかった。


「どうしたの,こんな遅くに」軽い上着をはおり,髪をかきながらその人物がドアごしに二人を見た。

「夜分すみません,シンキさん。クビワが大変なことになっていて」



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