104

「あった」

これだけ苦労したのだからもっと歓喜に満たされると思っていたが,意外にシッショの心は冷静だった。その声にボッチがやってくる。シッショはハシゴから降りると折り目のついた本を見せた。明るいテーブルまで持っていき,それを開く。

「生物の図鑑か。それにしては装丁が地味だが」ボッチの問いにシッショがうなずきページをめくる。その中には,ケライが写した卵のイラストもあった。記述から,北の大陸にある森の固有種であることがわかる。。間違いない。ケライはこれを写したのだ。

「どの紙も透かしがないな。誰が書いたんだ?」

ボッチが再び問う。シッショは無言でページを飛ばし,著者を調べる。「国立観測省,って書いてある」「観測省?観測省って南の調査組織のことか?」「たぶん」「なんでそんなやつらの本がここに」「わからない」

視線を落としたままシッショが小声で言った。「これは,かなりやばいものだと思う」「やばいって,そりゃ,調査隊の物じゃないのがここにあるのがやばいだろうな」「いや,そういう意味じゃない」「どういう意味だ」

「僕ら調査隊が組織されたのは,血の嵐の後,謎に包まれた北の大陸を調べるためだったはずだ」「ああ,そうだ」「何で観測省が北の大陸固有の生物を知っているんだ?」「あ」

ボッチは嫌な予感に足が震え,落ち着くために椅子に座った。遅れてシッショも席につく。「観測省が既に調査に入っているなら,僕らがここに来る必要だってない」「まあ,そうだな」「紙の質もそれほど新しくない」「ああ」「観測省は血の嵐が起きた時点,もしくはそれ以前に北の大陸に足を踏み入れていたことになる。そしてなぜかその情報の一部が調査隊の書庫にある」

血の嵐についてシッショが知るのは,それが北の大陸で起きた災害であること,それによって一つの国,一つの言語,二つの民族,そして四十三の氏族が消滅したということだけである。観測省はこの地で何を見たのか。そしてなぜその記録を調査隊が持っているのか。

「俺たちの知らないところで,調査隊と観測省をつなげているやつがいるってことか?それって本当に密偵がいるってことになるんじゃ」「わからない。そもそもそんな優秀なら書庫なんかに大っぴらに証拠を残すとは考えにくいし」「でもアルジとケライが来る前なんて,書庫は閑古鳥が鳴いてたぜ」

そうだ。灯台下暗し。ということはアルジとケライは本当に観測省の密偵なのか?後発隊と言っておきながら他の隊員の気配はないし,これだけの証拠がある。だがあまりに杜撰すぎる。もしくは二人を陥れようとする誰かがいるのか?その場合も里にスパイが紛れ込んでいることになる。

シッショは頭を抱えた。自分がこの本を見つけたとき,喜びを感じなかったのはこんなことになると薄々感じていたからじゃないのだろうか。おい,大丈夫か,とボッチが声をかける。もちろんボッチだって大丈夫じゃない。ケライの数枚の紙からこんなことになるなんて。

「とりあえず,透かしのない白紙を探そう」暗い顔で立ち上がるシッショ。そうだな,とボッチも続き,図鑑のあった付近を探す。そこはあまり整理されていなかった棚のようで,本に混ざっていくつものレポートやファイルが並んでいた。ケライはそこから白紙を拝借したのだろう。感心できることではない。

「これが全部観測省のものってことはないだろうな」ボッチが冗談で言い,その直後,顔が青くなる。

案の定。

シッショがいくつか本を手に取り調べると,それらの全てに竜人の紋章はなく,国立観測省の名が記されていた。この棚は,観測省が極秘に行った調査の記録なのだ。だが何らかの理由でこれらの記録は忘却された。だが,抹消されることもなかった。何らかの理由で。そして自分達はやってきた。この謎に満ちた大陸を調べ,報告するために。


この地には,忘却と報告 (Oblivio 'n Report) という相容れない二つの力が存在する。



(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).

cc by-nc-sa