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マッパは湿原の先に広がる不毛の針山について語った。養分のない土に,イバラのような枝をもつやせた木が生えるのみで,痺れる雨が降る。痺れる,の詳細は不明だが,その雨に触れると身体がしびれたときのようになるのだそうだ。針山を超えないかぎりその先には行けないという。正確には迂回することが可能なのだが,そちらにはケライを瀕死に追いこんだ大樹がぽつぽつと生えているため,うかつに足を踏み入れられないのだ。
というわけで,以前マッパがかわした約束について,アルジは報告を求められた。裂掌獣ザエルの討伐と,大樹の生態の解明である。まさか大樹が手つかずだと思わなかったマッパはアルジを怒鳴りつけ,今から行くと宣言した。
だがアルジの腰の状態は最悪だ。それはクビワの不調を見越し,アルジに面倒を押しつけたシッショの責任でもあるのだが,「そんなもん伸ばせば治る」とアルジの腰を抱え鯖折りを仕掛けた。
あまりの激痛に声を失い,アルジの存在がうっすらと薄くなってゆく。その場にいたミミが激怒し,二人の間を引き離す。「そんなことして悪化したらどうするんですか!」「お前は加工屋なんだからもっと丈夫な腰に替えてやればいい」「あなたは腰の骨がどれだけ繊細で柔軟にできているか知らないんですね」「そんな貧弱なもんもっと硬いもんに取り替えてやれっつってんだよ」「硬いものに交換したら自由に動かせないって言ってるんですよ!あなた人の話を聞いてないんですか?」この二人は会うたびに漫才のような喧嘩をする。
「では報告書の目処がたったら出発する,ということでいいですか」アルジは腰をさすりながらうめくように言った。今度はアルジとマッパの漫才だ。「だめだ。すぐ出発の準備をしろ」「報告書を書かずに出発することはできません」「じゃあ今すぐ書き終えろ」「無理です。一週間はかかります」「なんで文字を埋めるだけでそんなに時間がかかるんだ」「意味のある文章にするには最低でもそれくらいの時間がかかります。ではマッパさんは今回の調査についてすぐに報告書が書けるんですか」「わからん。あと話をそらすな」「そらしてません。マッパさんができるなら私もできるよう努力します。ですがマッパさんでもできないことを押しつけられたらみんな死んでしまいます。崖から飛び降りろとか,炎の中を歩けとか」
アルジは最後を冗談で言ったつもりだった。だがマッパは「ふむ,」と言って考える素振りをした。どうやら,マッパはふつうの人間にとって何が無茶なのかを本当にわかっていないようだった。何をすると人間が壊れるのか,その基準を正しく教えてやれば,厳しくはあるものの,ものわかりのいい人物に変わるかもしれない。なぜなら,マッパは人の命を第一に考えるからだ。たとえば足の遅い人物を怠慢だと考えるマッパに対し,マッパのように走らせたら死ぬ,と単にいうのでなく,マッパのように走ると筋肉が断裂して死ぬ,と具体的に教えれば,おそらく無理に走らせようとはしなくなるだろう。なぜマッパのこうした性格がこれまで明らかにならなかったのか定かではない。「あんたとは違う」「殺す気か」といった批判は受けても,「使うと壊れる」ということを明確に指摘した者がこれまでいなかったのだろうか。
とりあえずアルジは裂掌獣に関する報告書の目処がつき次第,謎の大樹を調査することになった。そこへ,包帯で腕を吊るしたケライが朝食をとるために現れた。
「おはようございます」
ケライはマッパを見た。「なぜこの人は裸なん」「全裸じゃない」
マッパへのケライの紹介もそこそこに,アルジにとって危機的な状況となった。ケライは負傷した手が治りきらないまま酷使したせいで,しばらく使えなくなってしまったのである。このままではいつまでたっても報告書の目処がつかない。それよりもケライの負傷を自身が悪化させたことにアルジはひどく後悔した。だがそんなアルジの状態など露知らず,ケライはマッパの正面にしゃがみこんで,興味津々にピアスをながめている。
「マッパさんはこんなところに装飾品着けて痛くないんですか。腫れてますけど」「腫れてる?そうかな」「私の倍以上あります」「ずっと着けてるから大きくなっただけだ,多分」「触ってもいいですか」「うーむ,少しだけな」「ちょっとお二人とも何してるんですか」ミミが真っ赤な顔で割って入る。
「それを着ければ寒くなくなるんですか」ミミに引き離され,なおもケライが聞く。「見ればわかるが全く寒くない。寒いのは苦手か」「はい。私も着けられますか」「もちろんだ。だが服などという軟弱なものは捨て去らねばならない」「服を脱ぐのに寒くないんですか」「そうだ。これが守ってくれる」「守ってくれませんよ!ケライさんこんな変な人に騙されちゃダメです…」「俺は嘘は言ってない」「嘘じゃないそうですが」「ああ,頭がおかしくなりそう」ミミはその後も食い下がるケライをなんとか説得し,マッパを追い出した。
この出来事の後,ミミはケライのために特製の防寒具と手袋を作った。
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