016
「足をクビワみたいに使いこなしたい?」
里は中央に広間と会議室,宿舎を兼ねる本部があり,そこから左右に2つずつの建物が並んで広場を囲んでいる。それぞれ湯治場,武器などの加工場,道具製作・医療施設を兼ねる研究所,書架となっている。ふだんクビワはシッショとともに,任務のないときは広場でトレーニングにはげんでいるので,探すのは簡単だった。
アルジがケライとの今後の状況を伝えると,シッショは納得してケライの安全を約束した。その後,アルジは失った手のかわりに足を使いこなせるよう鍛錬を依頼したのである。
「アシをテみたいにつかいたいなら兄チャにでしいりすればすぐだぞ」「クビワさんのお兄さんというのはどこにいるんですか」「もうしんだぞ」「それは弟子入りするのは難しそうですね」
「僕らが普段やっている練習があるから,そこから慣れるのがいいんじゃないかな」「ぜひお願いします」
トレーニングは数日の安静期間をおいて始まった。それは二人が持つ技能の高さをアルジに思い知らせることになった。足でキャッチボール,足で箸を掴み皿から別の皿へ豆をうつす,など。逆さのまま両足で木をはさみ,腰の反動を使って木をのぼる,といった運動はまだできない。
「重要なのは骨盤を意識することで」「親指と人差し指の間はもっと開けたほうがいいかな」「その指だけ動かすにはこの筋肉を使うんだよ」「なるほど」
「アルジはかたいなー,いわみたいだ」「アルジのあしはみじかいぞ,もっとくえ」「これは体質です」
「毎日やっていれば柔らかくなるし,クビワとじゃれあっていればすぐにできるようになると思うよ」
じゃれあう,というのは足だけを使ったレスリングのようなものだ。クビワも腕で身体を支えられないように両腕を縄で縛っているが,足の全ての関節,筋肉を知りつくしたかのような動きでアルジを驚かせ,何度もあっという間に組み伏せた。まるでタコのようだ。そのなかでアルジは普段使っていない頭の部分が使われ,ひとつひとつの細胞が眠りから覚めるかのような錯覚をおぼえた。
シッショは二人の滑稽な戦いに終始腹を抱えて笑った。特にクビワの臀部がアルジの顔面に乗り,窒息に悶え身体をくねらせている様子には痙攣するほど笑いころげた。
砂まみれの二人とシッショが3人で座り込んで談笑する頃にはもう夕方になっていた。
「アルジ,ありがとな!」「いいえ,こちらこそ2人の練習の邪魔をしてしまって」「兄チャとあそんでたころおもいだしたぞ」「それは何よりです」「またやるぞ!」
「それじゃあ身体洗って食事にしようか」「アルジ,だいすきなふろだぞ!またぜんぶきれいにしてやるからな!」「いえ,勘弁してください…」
再びアルジには無心を保つことが強いられた。
その後,アルジはクビワから足で食器を扱う方法を教わりながら食事をとった。机の上で二人の人間が足を乗せて食事をしているのだから下品なように思える。だがぎこちない動きのアルジに対し,クビワはあまりにも自然な動きで食べるため,知らない人が見れば「手づかみで食べるなんて下品だ」と錯覚してしまうほどだった。
「アルジはすぐにうまくなるよ」「二人の教え方がうまいからですね」「うむ!これからはクビワせんせーとよべ!」「はい先生,今後も精進します」
アルジはふと気になることを聞いた。
「クビワ先生」
「うむ,なんでもきけい」
「クビワ先生のお兄さんてどんな人だったんですか」
それを聞いた瞬間,クビワから表情が消える。
「へんきょうさいきょうのせんしだった。つよくてはやくて,でもクビワをまもるためにしんだ」
アルジの地雷を踏む才能がまた発揮された。「すみません。」と言ったところで何の意味もない。だがシッショは優しく言った。
「クビワとはね,難破した奴隷船で会ったんだ」
食器を机に置き,シッショが話しはじめる。
「西の地方で働いていた頃,宿舎ごと流されるような大嵐があった。仲間も大勢失ったけど,瓦礫の向こうに昇る朝日が綺麗でね。救われるようだった。そのあと浜辺にボロボロの船が流れ着いてるって報告があって,中を調べたら仲間の一人が『生存者がいるぞ!』ってね」
「それがクビワさんだったんですね」アルジの相槌にシッショがうなずく。
「鎖につながれて,ガリガリに痩せててね。船員もみんな死んでて,唯一の生き残りだったと思う。はじめは僕を敵だと思ってるみたいだったから食事で馴らしてさ,そこで言葉を教えた」
「めし,くう,ねる」「そうそう。めしー,めしーってしか最初は言わなかった」二人が当時を思い出して笑う。
「難破した船がどこの所属かもわからないし,日誌もなかった。意図的に破棄されたのかもしれない。だからクビワがどこで生まれ育ったのかはわからない。ただ首輪は錆びついてるのに何をしても全く壊せなかった」
シッショは我が子を自慢するように,狩猟技術にかんするクビワの飲み込みの速さを語った。一を聞いて十を知るかのように,独自のアレンジを加えていったのだという。師匠とはいうが,もはやクビワの技術は自身の知るよりもはるか先にあり,辺境最強というのもあながち嘘ではないかもしれない,と言った。アルジはクビワの母などについても聞きたい気持ちに駆られたが,これ以上被害を拡大しないよう控えた。やがて時が来れば知るだろう。
「たまに夜こっそり泣くんだ。聞いたことない悲しそうな声でね」「クビワはつよいからなかないぞ」クビワの返事にシッショは苦笑いする。
「だからもしアルジが泣いてるクビワを見たら優しく慰めてほしい」「わかりました」「ものすごい力で抱きしめてくるから,骨が何本か折れるかもしれないけど我慢してね」そう言ってシッショはくすくすと笑った。
「クビワには幸せになってほしい。そのためなら僕は何でもするし,何があってもクビワを守る」
「私も微力ながらお手伝いします」「そう言ってもらえてうれしいよ。アルジ,これからもよろしく」
なぜシッショが出会ってひと月もたっていない相手にこれほど多く語ったのかはわからない。アルジの不器用さがシッショの警戒心を解いたのかもしれないが,少なくともアルジが誰の心にも入りこめるような性格からかけ離れていることは確かである。
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