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覇鱗樹の葉が光をそれなりに通すとはいえ,どこまでも届くわけではない。どれほど下ったか,やがて足元は見えなくなり,ボッチが明かりを灯す。
足を伝わる感触が,砂利をこするようなものに変わった。最深部についたのだろうか。壁づたいにマッパが歩く。それに三人はついてゆく。
風の流れがある。
視界を照らす光が,黒い穴に吸い込まれた。大きな横穴が空いているのだ。目的地に到達したのか,マッパがやや穏やかな声で言う。「ここで休憩しよう」
その言葉に三人は安堵した。
テントを張ってようやくの食事になった。シンキが温かいお茶を入れ,全員に振る舞う。そのかぐわしさは頭の中のゴミを掃除するようで,また喉を通ったそれは温もりで胃を包み込むようで,何ともいえない幸福感に満たされた。
「ミミさんの部屋で飲んだものと同じ香りがします」そうアルジが言うと,ボッチが「何?お前,そんないい思いしていたのか」と詰め寄る。「私を部屋から追い出したのはボッチさんじゃないですか」「だからってミミの部屋に押しかけるなんて不潔だ。節度ってもんがないのか」「節度って何の話ですか。それにミミさんの部屋に居させてもらってたのだってミミさんが親切にしてくれるから」「そんな後先考えないで行動するようなやつはなあ」
「まあまあ」シンキが二人をなだめる。「このお茶,ミミがいつも大変にしてるから,少しでも疲れが取れるようにと思って分けてあげてるんだよ」「シンキさんが作ってたんですか」「そそ。いくつかの種類を混ぜただけだけどね。おいしいでしょ?」「はい。気持ちが穏やかになります」陳腐な誉め言葉にもかかわらず,へへ,とシンキは笑顔を返した。
食後にボッチがシンキの手に巻かれた包帯を替える。その光景をアルジはじっとながめていた。と,シンキが恥ずかしがって「見せものじゃないよ」とはにかむ。ボッチはやや,というかかなり不機嫌だ。「あっち向いてろ」
「いえ,そういうつもりじゃないです。ただ,ケライは今どうしてるのかなと思って」とアルジは誰に視線を合わせるともなく言った。
それは二人の様子を見ていたことの言い訳か,それとも自然と頭に浮かんだものかは定かではない。少なくとも,アルジがこの大穴にやってきてから,ずっとケライに会いたかったのは本当だ。
なぜだろうか。会いたくて会いたくて,このまま駆けて帰ってしまいたい,そう思えるほどだった。理由はいくつかある。里が壊滅し,臨時の本部でさえ土蜘蛛に襲われつつある。ケライを安全な環境に置いておけないことが心配なのだ。確かに蝕霧は撒かれたはずだ。だが土蜘蛛はどうなっただろうか。皆は安全なのだろうか。もし危険な状況になったなら,シッショは皆を誘導できるだろうか。全員の食料は。衛生状況は。考えるほどに不安は尽きない。けれどもそんなことを考えている暇はない。自分たちを見れば,今は落ち着いているとはいえ,またいつ敵に襲われるかもわからないのだから。そんな山ほどの気がかりが心に満ちて,余計にケライの顔を見たくてしょうがなくなってしまうのだ。
アルジは平静を装っていたつもりだったが,その隠しきれない切なさが顔や雰囲気にあふれ出ていたようだった。シンキは優しい顔で「大丈夫,みんな助かるよ」と安心させるように,しかしどこか寂しそうな顔で言ってなぐさめた。
やれるだけのことをしよう。そう思った。
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