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「それで,こんなケガをしたわけですか」アルジの開いた目に光を当てながら,ショムが言う。眼球そのものは傷ついていないようだ。「はい」
森の本部に帰ったボッチたちは,早々に治療を受けた。本部を移転した意味があったというものだ。怪我をしないことが一番なので,これが喜ぶべきことかどうかはわからないが,ショムがいなければアルジの視聴覚が失われていたかもしれない。耳鳴りは激しく,片耳の聴力が回復していないものの,幸いにして視力を取り戻し,いまは耳以外に頭などの後遺症がないか検査を受けていた。ボッチは両手に大きな手袋をはめ,その滑稽な様子をシンキにからかわれている。
そんな二人の様子を見て,アルジはショムに首を曲げられながら質問した。「そういえばお二人はどうやってあの部屋まで来れたんですか」
「へ?あたしたちのこと?」シンキが間の抜けたような声を出す。「はい」「そういえばアルジに返してなかったな」ボッチはアルジの言葉を受け,懐を探る。
「返す?」二人のやりとりに,一旦ショムが手を止める。取り出せないボッチに代わってシンキが引き抜き,ボッチとアルジに見せた。「これ?」ボッチがうなずく。「そうだ」
それは液体の入った試験管だった。
「あ」光沢を放つ管を通して,アルジの目に,はるか遠くの光景が浮かんだ。目の前でシンキが軽く振ると,青く淡い光が生じた。
南と北の大陸をつなげる,アルジが持っていた唯一の道具。紫針竜の襲撃を受け,全てを失ったアルジが懐にしのばせていた,ただひとつの物。まだ手があった頃,それを振って助けを呼び,そうしてやってきたのがミミだった。
ショムが試験管を代わりに受け取り,転がらないよう机の本に立てかける。アルジがそれを手に持つことはもうできない。
あれから,本当にたくさんのことがあった。本当に。自分はずっと北の大陸にいたのではないかと思うほどに。けれどもその光が,自分がどこから来たのかを思い出させた。
「ありがとうございます」思い出が一気に押し寄せたアルジは,顔を上に向け,潤んだ瞳を隠す。その様子にシンキは笑いながら,「お礼を言うのはあたしたちの方だよ。ありがと,アルジさん」と言った。
「アルジの部屋にあったのを借りっぱなしになってたんだが,それを思い出してな。シンキがお前たちを追いかけるって言ったから,それを使って後を追ったんだ」「マッパさんのベトベトの足跡がきっちり残ってたからね」「俺は目が悪いから見えなかったがな」「栄養が足りてないんだよ。もっと食べなきゃ」「余計なお世話だ」
ショムはそんな掛け合い漫才に笑みをこぼしながら,そろそろいいですか,とアルジの顔を下げさせ,検査を続けた。
治療を終えたアルジが外で目にしたのは,車椅子に乗ってミミに引かれるマッパの様子だった。
「マッパさん」アルジの呼びかけにマッパは渋い表情をする。ミミが何か言おうとしたものの怒鳴られてしまった。「そんなに悪いんですか」心配になったアルジはついつい尋ねてしまう。
「すぐに治るさ」マッパはそう口で言ったが,その顔には反対の表情が浮かんでいる。あの攻撃に晒されつづけ,どこかに異常が出ないほうがおかしい。気丈にふるまう様子がかえって怪我の深刻さを物語る。
「マッパさん,すみません,私のせいで」アルジが謝るのをマッパが「そんなんじゃない」と制する。
あのとき,アルジが飛び込んだ光のなか,半壊の机の中に隠れるマッパの姿を瞬時に捉えた。すかさずマッパはアルジの背中に掴まり,義足の再噴射で地上スレスレの高さを突破したのだ。まさに阿吽の呼吸だった。脱出時,アルジの身体はマッパが覆っていた。守るために。ただ,その際に深く傷ついたなら。アルジはマッパを守ろうとして,逆に守られていたのだろうか。
「お前とボッチのおかげで俺は助かったんだ。礼を言う。もしお前が自分を責めたら,俺が悪いみたいになるからな。絶対ふてくされるなよ」その言葉にアルジは,はい,とうなずく。「俺を気にしてる暇があったら,さっさと今後の調査計画でも考えとけ」
それはアルジを激励するつもりが半分,言葉通りの意味が半分だった。マッパは大穴の研究所が崩壊したことで,最後の手がかりを失ってしまった。オヤブンはこれまでマッパに全幅の信頼をおいていたし,マッパ自身も楽観的に考えていた。いずれは自分が解決するのだから,暴走して怪我をされるほうが迷惑だと思うこともあった。だが火山の研究所でザエルに襲われたときに気づいておくべきだった。秘密を探られるくらいなら,全て消し去ってしまおう,そう考える者がいることを。
「もしかしてマッパさん,落ち込んでるんですか」
マッパの顔が急に赤くなる。「そんなわけないだろ」そう言って下の歯をむきだしにする。「さっさとどっかへ行け。邪魔だ」そんな焦るマッパの様子に,思わずミミは吹き出してしまった。
すると,ちょうど良いタイミングでケライがアルジを呼びに来た。義足のないアルジは怪我が治るまで自力で移動できないからだ。「アルジさん,ケガの具合はどうですか」「ありがとう。大丈夫だよ」
すっかり仲良くなったように見える。そんな二人の様子に安心したのか,それまで会話を見守っていたミミは「マッパさん行きましょうか」と話しかけ,治療のためショムの元へ連れていこうとする。
なおもケライとアルジは会話を続ける。「では紫針竜討伐計画の資料は書けているんですね」「…書けていません」「ケガはもう大丈夫と言ったはずですが」「大丈夫の意味が違うよ」「どう違うんですか」
「おい」マッパがミミを手で制し,二人に呼びかける。「紫針竜を討伐ってどういうことだ」
ケライは話の腰を折られたためか,苛つきの込もったような少し強い口調で言う。「アルジさんが紫針竜を倒せるとオヤブンさんに言いました。その根拠を説明しなければいけません」
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