025
シッショらはその日,まだ湿原に入ることはせず,周辺の調査をすることになっていた。
その雪山からこちらの道は,平地に向かう強風が吹く。そのため,風を防ぐ洞窟の安全を確かめ,その中にキャンプを張った。それはケライが加入する前から利用していた場所だった。
シッショとクビワの二人はこのあたりの地形に詳しい。味気ない食料にトッピングするお気に入りの材料を採取してくるため,ケライを残して出かけた。その日の夕方のことだった。
やがて徐々に周囲が暗くなってきても二人は帰ってこなかった。風はやみ,あたりが無音に包まれる。
すると言い知れぬ香りがただよってきた。甘いような,魅惑のかぐわしさにケライは気をひかれる。洞窟の外に出て香りの元を探すと,青く,美しく光る巨木が彼方にそびえているのが見えた。吸い込まれるような透明感をもった光だった。木の周囲は見通しがよく,敵が近付けばすぐにわかる。念のため武器と必要な道具を持ち,ケライは調査に向かった。
洞窟からのびる自然にできた道を下り,平地の草むらを進む。草むらといっても丈は靴の高さほどしかなく,ところどころのくぼみに雪解けでできた水たまりがある。やがてそうした水たまりも無くなり,草原のように広がる風景のなか,巨木が幻想的な青い光を放っていた。見上げると,その枝はやや細く,長く広がり,大きな傘のようになっている。その合間に,わずかな風にゆられ,青い光源がひしめいている。幹の一部を採取するため,ケライは足をのばした。
だがその先の地面は抜け,虚空へとつながった。
身体がかたむき,落下する。
「ごふっ」
口から血があふれる。直後に全身を突き刺す強烈な痛みに,自分がまんまと罠にはまったことに気付く。周囲には鋭く尖ったイバラがはりめぐらされていた。そのひとつひとつがナイフほどの大きさもあり,下手に動こうものなら突き刺さったところから肉が綺麗に切り落とされることになる。ケライはわずかに動く腕で腰から強力な鎮痛剤をとりだし,勢いよく自身に注射する。薬剤は即座に全身をめぐり,痛みで気を失うのは回避された。限りなく死が迫っているにも関わらず,おそろしいまでの冷静さだった。
身体の動く残りわずかな時間で脱出しなければならない。自分の落ちてきた穴を見ると,ケライは竿を手にとって振りあげた。二回,三回。自分の呼吸がどんどん荒くなる。視界が徐々に暗くなる。手ごたえがあった。最初で最後のチャンスだ。スイッチを入れ,一気に糸をまきあげる。
渾身の力をふりしぼり,上半身をどうにか穴の外へ出すと,ケライはそのまま力尽きた。
伏せるケライに近付く者があった。その人物は中腰になり,なんらかの器具を取り出すと,ケライの身体に押し当てた。少しの時間をおいて外し,その器具に目を落とす。すると,
「1…0…」ケライがうつぶせのまま,ひゅうひゅう言いながら声を出した。自分の血液型だ。
「まだ生きてるな。死ぬなよ。絶対。死んだら駄目だ」ケライをひきあげて抱きかかえると,その人物は洞窟の方に向かってすさまじいスピードで駆け出した。
途中,目を閉じたまま,ケライは血まみれの手をのばし,相手の顔にその手の平をぴたりと当てた。
「触…ない…ルジ…ん」
ケライの命の恩人は,ふっと笑みをこぼした。
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