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朝のラウンジは静かだった。そこでアルジが地べたに座り食事をとっていると,誰かの駆けてくる音があり,次いで息を切らしながらショムが現れた。顔を左右に振り,何かを必死に探している。

「あっ,アルジさん!」テーブルにぶつかるほどの勢いでアルジの元までやってくると,ショムは膝をつき,肩で息をしながら呼吸を整える。

「おはようございます。水飲みますか?」そう言って肘でコップを押すと,ショムは「ありがと」と言いながら一気に飲みほす。「はぁ…はぁ…よかった…アルジさんここにいて」

「何かあったんですか」嫌なニュースか,と身構えると,ショムはアルジの顔に黄色い塊をつきつけた。

「これ,何か覚えてる?」近すぎて物体の焦点があわないが,色でわかる。「はい,雪灯籠キューチェクの甲殻ですね」

「そう。これ,他にない?」「いえ,すみません」その返答に「やっぱりかぁ…」とショムの力がへなへなと抜けてしまう。「どうしたんですか。それが何か」

「これがあれば二人を助けられるかもしれないの」

ドクン。胸が高鳴った。両腕があればショムの肩を揺さぶりながら「詳しく教えろ!」と大声を張りあげているはずだ。

「どういうことですか」

激務に追われるショムにあまり時間はない。そのため手短に説明すると,雪灯籠の内壁には皮膚の再生を促す成分が含まれているという。何でも丸のみにするということは体内も傷つきやすい。それを解決するために獲得した能力なのかもしれない。

それを患部に張りつければ,優れた軟膏の塗布された絆創膏として機能し,怪我を早く治せる可能性がある。全身の激しい火傷で苦しむシンキにとって,この素材は大きな助けになる。

「それでなんだけど」

「取ってこいということですね」「できそう?」「たぶん」捕獲できないから討伐したというのに,できないとはいえなかった。

「それじゃあよろしくね!」そう言って再びショムはあわただしく駆けていった。ふだんの丁寧な言葉遣いさえも忘れるほどに忙しいのだ。こちらもその期待に応えなければならなかった。

だがそのための手続きの面倒臭さを考えると気が滅入った。マッパにザエル討伐計画および謎の大樹調査計画の先送りの許可をもらい,オヤブンを説得して雪灯籠の狩猟許可を得なければならない。その面倒を解決できるのは一人しかいなかった。

宿舎の一室。そのドアの前に立ち,ノックをする。「ボッチさん,アルジです」

当然ながら返事はない。「シンキさんを治せるかもしれません」

ガタガタガタッ。ドアの向こうで激しい物音のあと,勢いよく開く。「本当か」

落ちくぼんだ目。ボッチはこのわずかな時間で考えられないほどやつれていた。相当堪えたのだろう。その様子に,ミミが心配になったが,今はやるべきことがある。

「本当です。そのかわり,雪灯籠の捕獲に協力してください」「雪灯籠。お前の腕を食ったやつか」「そうです」

ドアを開けた姿勢のまま返答していたボッチは,ふいに目を落とすが,すぐに顔を上げる。「わかった。どうやって捕獲するんだ」

計画通りだ。「ありがとうございます。具体的な捕獲計画に入る前に,いくつか手続きが必要なので,かわりに書類を用意していただけますか」

ボッチ名義で雪灯籠の狩猟申請をボッチが書き,その根拠となる書類をボッチが用意してからショムに裏付けとなるサインをボッチがもらう。両者をボッチがオヤブンに提出し,ボッチが説得にあたった。アルジが部屋の外で両者のやりとりを聞いていると,ボッチの狂気にも満ちた決意と雄弁な大演説にオヤブンも折れたようだった。オヤブンは狩猟の即時許可を出した。次にマッパに計画の先送りとその理由をボッチが述べたところ,ひととおりの説教はあったがすんなり理解してもらえた。マッパは人命の関わることであれば,随分基準が緩くなるのだ,ということをこのときアルジは学んだ。

アルジが行えば吐き気を催すほど面倒なものになるはずだったが,幸い,その手に関して優れる,というか,それゆえにボッチ団を結成できたのであろうボッチに全て任せることでアルジは何の苦労もなく交渉を済ませることができた。

「それじゃあ目的地はどこだ。用意するものは?」ボッチの質問にアルジは答えた。「ボッチさんが雪灯籠の報告書を熟読してからにしましょう」



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