130
本章ではストーリーに進展はない。よって時間を進めたい読者は飛ばしてほしい。
ミミに促されたアルジは,ミミから離れて報告書を書き始めたものの,作業は捗らなかった。書庫が使えず,資料が手元にないため引用ができないのだ。どうしても文章がぶつ切りになってしまう。これに対し頭の中に図書館をもつケライ,事実のみを記述するボッチは順調である。ミミも代筆をかって出たものの,いろいろと勝手が異なるのでアルジを助けるのは難しい。アルジは字が読めなくても,書庫のどこを調べれば目当ての情報があるのかある程度はわかっている。あとはそれを読んでもらえば特定できるのだが,隔離されているかぎりこの方法が使えない。
ただそれで途方に暮れるというわけではなかった。いくつかの試作品を経てできあがったアルジ用のタイプライター。完成していたものの使用する場面がなく工房に置かれたままになっていたものだ。それがいまアルジの目の前にある。隔離されて自由に動けないこの状況は,アルジが自力で書く能力を得る絶好の機会だった。このタイプライターは鍵盤のかわりに大きなレバーが一つあり,傾けた角度に対応した文字が打ち込まれる。文字の種類が少ない言語ならではの工夫がなされたものといえる。
以前はこのレバーがダイヤル式のスイッチになっていて,角度を合わせてスイッチを押し込むと文字が打ち出されるようになっていた。ただそれでは腕,というか肘,にかかる負担が大きく,手間もかかるということで改良されたのだ。出したい文字の角度さえ頭に入れてしまえば,言葉を読めなくても書くことができるのだから,アルジにとってこれほどありがたいものはないだろう。
当然ながら打ち出される内容をアルジは読めない。誤字もそこそこある。ただ,人の助けがなくても作業ができるのは大きい。文章の質についてもケライとボッチに鍛えられているだけあって悪くない。白紙,というほど上質の紙ではないが,それを自分の意思が伴ったインクで埋められるということが,アルジには魔法のように思えた。
アルジにとって幸運だったのは,道具を作ったミミの存在だけでなく,ケライから,話し言葉と書き言葉が質の異なるものだと学べたことである。ケライはアルジに報告書の書き方を身につけさせるため,まず,頭で考えるときに使っている言葉と,話し言葉,そして書き言葉の間に大きな違いがあることを教えた。そして書き方のルールが記された埃まみれの本を書庫から見つけ出し,アルジも知っているはずの単純なルールから再び学ばせ,その違いを意識させるようにした。そのなかには禁則処理などの基本的なことから,段落の構成といったやや複雑なことまで含まれている。
かんたんにいえば,ケライのいう書き言葉とは,頭の中にある自由なアイデアに論理の肉づけをし,読み手を説得することを目指した仕組みのことだ。それは先人の蓄積のうえに立ったものなので,説明する側は妙に偉そうだし,格式ばっている。また教わる側としては大抵理不尽で,自身の無知をひたすら指摘され,腹立たしくなるものである。
ただ,そんなことは知っている,とか,そんな古い言い回しなどしない,とか文句は言わず,アルジは辛抱強くケライの言うことに従った。重要なのは表現としての古さ,新しさではなく,書き言葉のルールを自身の血肉とすることだったからだ。その後,徒弟的に添削を受け,ケライやボッチほどとは言わないまでも,シッショのような絵日記レベルの文章から脱却できたのである。なんとうらやましいことだろうか。
とはいえシッショの名誉のために言っておくと,シッショは戦士である。もともとケライ達とは違う言語で暮らしていたし,母語以外で書くのは大変だ。里の面々と自由に意思疎通でき,率先して調査を行っているだけでも立派である。
(c) 2018 jamcha (jamcha.aa@gmail.com).